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イスファンディヤール戦記  作者: 北の旅人
凋落編
41/55

イスファーンは駆けた。背後から迫る騎兵たちは容赦なく矢を放ち、ハカーマニシュ兵は次々と倒れていく。矢を持たず、対抗手段のないイスファーンらは必死にラルサを目指す。


遂にラルサの前までたどり着いた。大声で開門を求める。すぐに門が開いた。イスファーン軍は一気に駆け込んだ。城門が閉ざされる。間一髪のところで、イスファーンは死地を逃れた。


しかし。イスファーンは背筋に冷たいものを感じた。


(おかしい)


何かがおかしい。何がおかしいのか。それは分からぬが、明らかにおかしい。


(…そうか。これはまずい)


気づいた時には遅かった。頭上から多数の矢が降ってきた。石も飛んでくる。なすすべもなく、精鋭たちが倒れていく。あちこちで断末魔の叫び声があがる。


考えてみれば、妙な点はいくつもあった。騎馬の民のあげる土煙は遠くから見えるはずであるのに、城からは援軍が出てこないこと。騎馬の民があまりにも城壁近くまで追ってくること。城門に入っても、一兵も見当たらないこと。


そして現にイスファーンの部下は殺されている。ここから導き出される答えはただ1つだった。


(ラルサは既に落ちた)


方法は分からぬが、ラルサは陥落し現在はハマトのものとなっている。いや、そもそもラルサはハマトの都だ。元の主の下に返ったと言うべきだろう。


最早これまでか。イスファーンがそう思った時、不意に馬から突き落とされた。一瞬前までイスファーンの首があったところを、矢が飛んでいく。


「陛下、ご無事で!」


フィルーズだ。肩に矢が突き刺さり痛々しいが、目の光は衰えていない。イスファーンを建物の陰に引っ張り込む。


「フィルーズ。これは逃れられんぞ」


「いいえ。そのようなことはございません。死中に活路を見いだすのです」


「だが、どうやって?」


「陛下、恐れながら兜とマントをお貸しください」


「フィルーズ!お主まさか…」


「はい。それがしが身代わりとなります。遠くからではわからぬでしょう」


「だが…」


「陛下のお命とそれがしの命、比べ物になりませぬ。さあ、早くお貸しください。そして死体に紛れ、逃げるのです。ラルサは辺境とはいえ一国の都。隠れる場所などいくらでもございます」


「すまぬ、フィルーズ」


イスファーンは鎧を脱ぎ、全てをフィルーズに渡した。フィルーズがそれを身につけ兜を深く被ると、年や背格好が近いために見事な影武者が誕生した。


「さあ、お行きください」


「お主の忠誠、無駄にはせぬ」


「さあ。早く!」


イスファーンが奥に駆け込むのと、フィルーズが飛び出すのは同時だった。


「我こそはハカーマニシュ軍総司令イスファンディヤールなり!卑劣なるハマト軍よ!降りてきて勝負せよ!いざ尋常に!」


イスファーンの頬を涙が伝った。悔しさ故か、忠臣を失う悲しみ故か、怒り故か。恐らくはそれら全てであろう。


(この屈辱…。必ず晴らしてみせる!)


イスファーンは心に誓った。


だがまずはこの場を切り抜けなければならない。


(どうしたものか…)


「もしや、イスファンディヤール閣下では?」


不意に後ろから聞こえた声に、イスファーンは飛び上がりそうになった。


「誰だ!」


振り向くと、片目に布を当てた若い男がいた。


「はっ。ザルトーシュト将軍の下で将校を務めておりました、オミードと申します」


そういえば見覚えがある。イスファーンは思った。


「閣下、こちらにおいでください。我々の隠れ家がございます」




案内されたのは地下室だった。入り口は巧妙に隠されており、容易には見つからないであろう。部屋の中には、10人ほどの男たちがいた。


「我々は皆、ザルトーシュト将軍の部下だった者です。ハマト軍の奇襲を受けた後、こうして潜伏し脱出の機会を窺っていたのです。ここは元々食料庫、食べ物だけは多く蓄えられています」


「そうか。しかし、何故ラルサは落ちたのだ?」


「恥ずかしながら、シャープールめの奸計に嵌まってしまったのです」


オミードの話は以下のようなものであった。ある日、砂漠の民に追いたてられている集団がいた。彼らは鎧は着ていなかったが、明らかにハカーマニシュ軍の兵士たちだった。砂漠の民が2000人ほどであるのを見て取ったザルトーシュトはただちに撃ってでた。すると砂漠の民は算を乱して逃げていった。ザルトーシュトは500程のハカーマニシュ兵を保護し、城に引き上げた。彼らはラルサ・ハループ間に置かれていた砦の守備兵だという。ハマト軍の襲撃を受け、取るものも取り合えず逃げてきたというのだ。ザルトーシュトは彼らを労い、十分な食事を与え怪我人は医師に治療させた。


2日後、再び追われるハカーマニシュ兵を見つけた。出撃してハマト兵を追い散らし、このハカーマニシュ兵も保護する。同じようなことが、あと4回繰り返された。


10日ほどたった頃、これまでにない規模のハカーマニシュ兵が逃げてきた。3000はいるであろうハカーマニシュ兵を追うハマト兵も、8000近くはいるようだ。8000と言えば、ザルトーシュトの有する兵力と同数である。先に保護した兵も含めれば2000ほど増えるが、負傷者も多く指揮系統も乱れている彼らを戦力として数えることには不安が残る。結局、元からの部下8000を率いて出撃し、2000兵を城の防衛にあてた。防衛といっても敵と戦うのはザルトーシュト率いる軍勢であり、難しい任務ではなかった。


ザルトーシュト隊は逃げてくるハカーマニシュ兵とハマト軍の間に立ち塞がった。3000のハカーマニシュ兵たちはその隙にラルサの城門をくぐる。たちまち、敵味方合わせて1万6000の軍勢がぶつかり合った。


重装歩兵を主力とするハカーマニシュ軍はいくつもの方陣を組み、大盾を並べ長槍を前に突き出す。軽騎兵で構成されるハマト軍は馬上から矢を放ち、ハカーマニシュ軍の陣形を崩そうとする。時折、盾や鎧の隙間をくぐり抜けてくる矢に当たり倒れる運の悪い兵士もいたが、ハカーマニシュの堅陣は崩れなかった。雨あられと降り注ぐ矢に耐え、確実に軽騎兵に近づいていったのである。


しかしその時、ラルサの門が開け放たれた。中から、4000ほどのハカーマニシュ兵が出てくる。


「馬鹿者!城内に控えておれ!」


ザルトーシュトは叫んだ。しかし、そのハカーマニシュ兵たちは止まらない。前方には敵がいるため、そのような勝手な者たちにいつまでも関わってはいられない。ザルトーシュトはハマト軍に集中することにした。


その時、至るところで断末魔のうめき声が聞こえた。矢が風を切る音が聞こえる。どこから?それに気づいた時、ザルトーシュトはさっと青ざめた。


矢は、後ろから飛んできたのである。甲冑と大盾で身を固めた重装歩兵は前方には強いが、背後や側面からの攻撃には弱い。盾に守られぬ背中は密集していることも合わさり、格好の的だった。ザルトーシュト軍の兵士は次々と倒れた。こうなれば、前方の敵に対しても本来の力を発揮することはできない。背中から殺されるかもしれぬ状況で戦い続けることのできる兵士など、皆無に等しいのだ。僅かな時間のうちに、ザルトーシュト軍の将兵は殺されていった。乱戦の中、ザルトーシュトもまた命を落とした。この日の戦いで、ハカーマニシュ軍は2000もの死傷者を出した。生き残った者も、食料も水もなく砂漠に逃れたために長くはもたないだろう。


ザルトーシュト軍を背後から襲った部隊は、彼が保護した兵士たちであった。シャープールは本物のハカーマニシュ兵の中に、1000のハマト兵を紛れさせていたのだ。ハマト軍にはハカーマニシュ人の血を引く者もいたし、ハカーマニシュ軍にはハマト人も多数加わっている。姿形で判別することは難しかった。さらに、最後に逃げてきた3000の兵は全てシャープールの部下であった。彼らは城に入ると、元から城内にいた兵と合わせてハカーマニシュ兵を攻撃した。1000ほどしかおらず、負傷者も多いハカーマニシュ兵はあっという間に掃討され、ラルサはハマト兵に占拠された。そして、ザルトーシュト軍を背後から襲ったのである。


「しかし、シャープールの奴が策士だとは知らなかったな」


イスファーンは言った。トゥーラーン戦役の折りにも、特にシャープールが活躍したという話は聞いていない。もし功績を立てていれば、イスファーンが見逃すはずはなく、今頃ハカーマニシュ軍で将軍の地位を与えられているだろう。


(だがしかし、あまりに似ているな)


ザルトーシュトが嵌められた作戦と、イスファーンが引っ掛かった罠には類似点が多くあった。恐らくは、同じ人物の策なのだろう。


(軍師でも見出だしたか)


ありそうなことだ。だがそれを確かめる術はない。イスファーンは目下の問題に思考を巡らせた。


イスファーンの連れてきた6000は恐らく皆殺しにされたであろう。手塩にかけて育成した「狼部隊」の半ば以上も一瞬にして失った。今、イスファーンの手元にある兵力はオミードら10人余り。兵力と言えるかも怪しい数であった。しかも、ほとんどの者が負傷している。さらに、イスファーンがいないことは既に発覚していよう。フィルーズは遠目には誤魔化せるかもしれないが、容姿は全く似ていない。捜索隊が出ていることは十分に考えられた。


(こんなことで頭を悩ませる事態に陥ろうとはな)


イスファーンは自嘲を込めて低く笑った。

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