海上作戦
「頃合いだな」
ハループよりさらに南の、名も無き港。いや、港と言えるかも怪しい、それはただの砂浜だった。だがガレー船を引き上げるには十分だ。その砂浜に立ち、シャープールはにやりと笑った。
ハマト主力軍は砂漠に逃れる。故意にその情報を流した。一度は実際に砂漠を東に移動した。軍勢の一部を割いてハループやオアシス都市におき、物資の一部もそれらの都市に隠し、あたかも砂漠を利用した遊撃作戦を行うかのように見せかけた。勝手に動くと予想していたいくつかの砂漠の部族も、ハカーマニシュ軍の思い込みに一役買ってくれただろう。
そうしてイスファーン軍を砂漠に引き込み、主力が離れたところで海軍を用いて海上補給の艦隊を完膚なきまでに叩き潰す。これがシャープールの秘策だった。
斥候の報告によれば、イスファーン軍は砂漠のかなり奥に入りこんでいるようだ。当然だ。彼らはもう、3週間は砂漠を進軍しているのだから。今さら気づいたところで、引き返すには早くても2週間はかかろう。その間にハカーマニシュ艦隊を倒すのだ。手元には1万6000もの正規軍及び砂漠の民と、雇いいれた海賊たちがいる。そう、シャープール艦隊の船は正規の軍船と海賊船の混成で成っているのだ。戦力を増やすため、船を確保するため、多数の海賊を大金で雇いいれたのだ。
時は今。シャープールは出航を命じた。
だが世界はシャープールを中心に回っている訳ではない。シャープールですら予測していなかった災厄が、ハカーマニシュ艦隊に襲いかかっていた。
「何?ハカーマニシュ艦隊が既に大打撃を受けているだと?」
シャープールは耳を疑った。
「誰の仕業だ?」
「はっ。ケメスの水賊どもです」
「ケメスの水賊だと?」
アマルナ川は大河であり、大量の物資が行き来している。当然、その荷を狙う賊もいるのだろう。だが、天下のハカーマニシュ艦隊に被害を与えるほどの水賊とは…。
「水賊と言っても、ただの無頼の徒ではありません。ケメス正規軍崩れの、元兵士が多いようです。その数も1万を超えるとか」
「1万を超える賊だと?頭目は誰だ?」
「ケメスの勇将カフラー将軍にございます」
カフラー将軍。かつてアマルナ川の防衛を託され、「イウムの戦い」ではケメス軍を壊滅から救った男だ。カフラーは戦後、軍の再建を託され西方や南方の蛮族を叩き潰して回っていた。だがその功績を妬む他の重臣たちの陰謀に嫌気が差し、配下の将兵ともども水賊に身を落としたのだ。彼は侵略の恨みを晴らすため、また物資を奪って食いつなぐため、ハカーマニシュの輸送艦隊を襲ったのだ。
「手間が省けたな」
シャープールはにやりと笑った。
「では、ハループを奪還するとしよう」
ハループには、守備隊として2万のハカーマニシュ兵が置かれていた。上陸したシャープールは1万5000の兵でハループに迫り、ハカーマニシュ軍が修理した港を攻撃した。これを防ぐために、城内から1万8000の兵が出撃してきた。両軍は乱戦を繰り広げたが、全兵力で言えば3000、訓練された兵の数で言えば6000、シャープール軍はハカーマニシュ軍に劣っていた。勇猛な騎馬の民の奮戦により辛うじて互角に戦っている状態であった。シャープール軍はじりじりと押されていき、遂には敗走を始めた。ある程度追撃を行うと、ハカーマニシュ軍はハループに引き返した。
だが、彼らを出迎えたのは歓声ではなかった。開門を求めると、突然多数の矢を浴びせかけられたのだ。混乱に陥るハカーマニシュ軍の後ろから、秘かに引き返してきていたシャープール軍が襲いかかる。腹背に攻撃を受け、ハカーマニシュ軍は壊滅した。追う者と追われる者が立場を入れ替え、再び追撃戦が行われた。騎兵を主力とするシャープール軍は、歩兵主体のハカーマニシュ兵を思うままに屠っていった。
作戦は単純なものだった。まず、海賊3000を加えた1万5000の兵が港を襲い、迎撃に出てきたハカーマニシュ軍を引き寄せる。十分に距離が離れたところで、別動隊4000がハループを強襲する。ハループ内には一般市民に紛れていた4000の兵士がいた。彼らは数で劣る城兵を押さえつつ、城門を開けた。こうなれば、2000と8000の戦いである。4倍の兵力差では勝負になるはずもなく、ハカーマニシュ兵は次々と討ち取られていき、最後には降伏した。
この日の戦闘で、ハカーマニシュ軍は5000の死傷者と3000の捕虜、合わせて8000を失った。対するシャープール軍は2000の死傷者を出した。しかし犠牲者の大部分は海賊であり、ハマト兵の損害はわずかなものだった。
ハループ城内に入場したシャープールは各2000の騎兵隊を4つ組織し、東に向けて送り出した。彼らに与えた任務は、ハカーマニシュ軍の補給部隊を襲撃することだ。さらに、余力があればオアシス都市を攻撃することも命じた。これらの部隊はマシニッサをはじめハマト軍でも優秀な諸将が指揮を執っていた。そのため、成果があがるのは早く、次々とハカーマニシュ軍補給部隊や警備隊を打ち破っていった。
ハループ奪還から10日ほど経った頃、マシニッサから伝令が送られてきた。イスファーン率いるハカーマニシュ軍を発見したというのである。あらかじめ物資を船に移していたシャープールは直ちに出航を命じた。そのままハマト海を北上していき、ハカーマニシュ海軍の生き残りやラルサ・ハループ間の砦を攻撃して回った。
「ハカーマニシュ軍もやはり追ってくるか」
絶えず後方に派遣している偵察船からの報告は、シャープールの予想通りのものだった。ハループには一切の物資を残していない。ハカーマニシュ軍輸送艦隊はカフラーの水賊により襲われ続け、辛うじてこれを切り抜けた船もハマト海軍や海賊の餌食とされた。陸上の防衛拠点も損害を度外視したシャープールの強攻により次々と陥落している。こうなると、イスファーン軍は物資も情報も手に入れることはできない。シャープールは故意に水賊や海賊によるハカーマニシュ輸送艦隊の壊滅の情報を流した。大軍故に手持ちの物資を使い果たすのは早く、さらに頼みの輸送艦隊が機能しないとなれば、選択肢は限られてくる。一刻も早くラルサへ向かって陸路を行くというのは、当然考えられる方法だった。
(砂漠の恐ろしさを、嫌というほど味わうがいい)
行きと違い、海軍の支援を受けない砂漠の行軍は苦難に満ちたものとなろう。太陽の熱と乾いた空気にじりじりと攻め立てられ、餓えや渇きは 耐え難いほどとなる。倒れる者がいても、船でラルサに送ることもできない。貴重な物資は人間あるいは動物の力で運ぶしかなく、その分体力は削られていく。重い武器は捨てていきたいところだが、下手に丸腰となればシャープールが放ったままにしてある騎兵隊や土着の民がたちまち襲いかかってくる。沿岸都市の住民には、物資を持っての避難を命じてある。もっとも、戦が始まってすぐに逃げ出した者も多かったが。
(砂漠で弱りきったハカーマニシュ軍に、止めを刺してやる。イスファーンには、決してラルサの地を踏ませはしない)
シャープールは海という「ハマトの武器と盾」を用いることで、一度はイスファーンにより無効化されたもうひとつの「武器と盾」を甦らせたのである。




