フェリドゥーン作戦(3)
ケメス王国を荒らし回ったイスファーン軍は返す刀でセレウキア公国沿岸に上陸した。キールス率いる2万の軍勢もこれに呼応して陸上から南下し、さらにシャープールのハマト軍6000も北上した。総勢7万を超える大軍による包囲である。
聖鍵軍はある時にまとまって押し寄せるが、大部分は西方に帰国するため慢性的に兵力が不足している。数の不足を補うための手段として、宗教騎士団と城塞がある。
宗教騎士団は神に生涯を捧げた騎士によって構成されている。信仰心からくる士気は高く、また幼少より訓練を重ねているために武勇に優れた騎士の集団であり、数以上の力を発揮できる。聖堂騎士団、聖アンドレ騎士団の二大騎士団をはじめ小規模な騎士団も含めると700人の騎士と3000の歩兵を有する重要な戦力である。
城塞は聖鍵軍の防衛の要である。少数の兵で効率よく防衛できるように設計された城塞は聖鍵軍国家内の各地に建てられ、「城塞網」と言ってもよい防衛体制が整えられている。
だが聖鍵軍を支える宗教騎士団と城塞網は今、戦わずして無力化された。
宗教騎士団の大部分は先にルジナ島に派遣され、
そこで動きを封じられていた。城塞に対してはイスファーンは無視をもって対処した。城塞は少数で防衛できるように設計されている。逆に言えば、城塞に籠っているのは少数の兵でしかない。イスファーンは大軍で城塞の近くを通過したのである。城塞に籠っていればいざ知らず、野戦では数の差は話にならないほどである。守備兵たちはなすすべもなく見送るしかなかったのである。それでも、通常このようなことをすれば後に続く補給線が攻撃され、退路を塞がれる危険がある。だが今回、イスファーンは海岸沿いを進むことでこの問題に対処していた。艦隊を軍勢に並走させたのである。船に積んである補給物資はほとんどがケメス王国からの戦利品である。刈り取りを行ったのは、ケメスの国力を弱めるとともに聖鍵軍との戦いで用いることを目的としていたのである。
セレウキア公アルベリックは近郊の城塞から兵を引き上げさせ、騎士800人を含む3500人の軍勢で公都セレウキアの守りを固めた。また国内の他の城塞やアエリア伯国、キリキア伯国、そしてカナニア王国にも救援を求めた。各国はすぐに軍の編成を始めたが、シャープール率いるハマト軍を警戒したカナニア王国は動けなかった。
蟻の這い出る隙間もないほどに包囲し、海上輸送させた組み立て式の攻城兵器が完成すると、イスファーンは攻撃を開始した。飛ぶ矢は空を覆い尽くさんばかり、投石機から放たれた石は城壁を次々と打ち崩した。破城槌や攻城搭、石弓、亀甲車などの攻城兵器が城壁に迫り、盾を掲げた歩兵たちが雲霞のごとく押し寄せ、そこかしこで梯子をかけた。セレウキアの城兵も負けじと矢を放ち、石や丸太を落とし、梯子を斧で叩ききり、攻城兵器に火矢を浴びせた。攻撃は一日中続いたが、セレウキアを落とすことはできなかった。この日の戦いでイスファーン軍の被害は小さなものではなかったが、守備側も150人の騎士を含む700近い兵を失っていた。
イスファーンは夜も敵兵に休息を許さなかった。直接攻め寄せることはしなかったものの、矢を雨のように降らせ、鬨の声を上げ太鼓を打ち鳴らした。3日間これを繰り返した後、イスファーンは攻撃を一旦中止した。軍勢に休息を与えるためである。だが夜間の活動は継続し、城兵をなるべく疲労させようとした。
2日後、斥候が敵の援軍の接近を伝えてきた。イスファーンはパルティア将オーランに1万2000の兵を預けて包囲を続けさせ、メフラング、キールス、アフシンにそれぞれ一隊を預けて方々に派遣し、自身は5000の親衛隊のみを率いて機動部隊として動いた。
アフシン、メフラングは各1万5000の兵を率いてそれぞれアエリア伯国軍、城外のセレウキア公国軍を待ち構えた。キールスは1万8000を率い、援軍の中で最大勢力のキリキア伯国軍を迎え撃った。
アフシンは2000兵を割き、囮としてわざとアエリア伯国軍の目につく場所へ派遣した。アエリア伯ブルネッロは囮であると察しつつも、全軍で囮部隊を攻撃した。200人の騎士を含む3000の軍勢で圧せば、本隊が到着する前に揉み潰せると考えたのである。だがハカーマニシュ重装歩兵で構成される囮部隊の守りは堅く、攻めあぐねているうちにアフシン率いる1万3000が到着した。槍衾で囲まれ、その後ろから射かけられる矢によりアエリア伯国軍は次々と殺されていき、活路を見出だすべく騎士を率いて突撃したブルネッロもまた命を落とした。レモラ人を蛮族と蔑むアフシンは降伏を一切許さず、徹底的な殺戮を行った。ほとんどを矢で撃ち殺したためにハカーマニシュ王国軍の犠牲はほとんどなかったが、アエリア伯国軍は全滅した。
メフラングは軍勢を3つに分け、ばらばらに進軍してくるセレウキア公国軍を各個撃破していった。だがセレウキア公の甥マティアスはここに勝機を見いだした。170人の騎士を集め、メフラング本隊を追跡したのだ。メフラング隊が歩兵中心の部隊を攻撃し陣形が乱れた隙をつき、マティアスは突撃した。背後を突かれたメフラング隊は混乱に陥った。なんとか兵をまとめようとしたメフラングはマティアス隊の手にかかり命を落とした。指揮官の死によりメフラング隊の混乱には拍車がかかり、壊滅の危機に陥った。すんでのところでギーヴ将軍率いる別動隊が駆けつけ、マティアス隊を攻撃した。形勢不利と見てとり、またメフラングを討ち取るという戦果を挙げたマティアスは素早く撤退した。マティアスの奇襲で、メフラング隊はメフラングをはじめ1000人を失った。残ったメフラング隊の指揮はひとまずギーヴが執ることとなった。
キリキア伯国軍の迎撃に向かったキールスは、その指揮能力を遺憾なく発揮していた。宗教騎士団の一部を加えた1200人の騎士を含む6000の軍勢を陽動によりさらに分散させ、一つずつ確実に叩き潰した。キリキア伯国軍を壊滅させたキールスはキリキア伯国内に進撃し、城塞を落として回った。セレウキア救援部隊にほぼ全ての兵を割いていたために僅かな守備隊しか残っていなかったこれらの城塞はなすすべもなく陥落し、ついには首都タルソスも開城した。
イスファーンは直属の部隊を率いて各地を駆け回り、敵の援軍を発見しては叩き潰していた。イスファーンの親衛隊はパルティア人を中心に5000騎の優秀な騎兵を集め、選りすぐりの馬に跨がり優れた装備で身を固めた精鋭中の精鋭である。猛訓練を重ねた彼らは機動力も戦闘力も桁外れであり、その旗印から「狼部隊」の異名で恐れられていた。同数以下の兵力でこの「狼部隊」に対抗できるはずもなく、聖鍵軍は数をすり減らされていった。途中でメフラングの戦死を知ったイスファーンはメフラング隊の元へ駆けつけ、ギーヴから指揮権を引き継ぎ、「援軍狩り」を始めた。マティアスの話を聞き彼を追ったが行方をつかむことはできなかった。
こうしてほぼ全ての援軍を粉砕したイスファーンは狼部隊及び旧メフラング隊を率いてセレウキアに戻った。アフシンは一足先に戻っており、キールスも後を部下に任せ1万2000の軍勢とともに合流した。
死傷者やタルソスに部隊を残したことで前回の包囲より8000ほど数は少なくなっているが、それでも5万を超える大軍による包囲が再び完成した。




