フェリドゥーン作戦(2)
「そうか、レモラ海軍は動けなくなったか」
イスファーンはにやりと口角を歪めた。
古代のハカーマニシュ王にあやかり「フェリドゥーン作戦」と名付けられた作戦の第一段階はレモラ海軍を拘束することだった。レモラ海軍は指揮官も定まらず、数も少ない。だが存在するだけで作戦の妨げになるかもしれない。ならば動きを封じてしまうにこしたことはない。さらに軍勢の一部をルジナ島に閉じ込めることで大陸における聖鍵軍の戦力を減らし、各個撃破するという狙いもあった。
ハカーマニシュ王国の魔手は北方にも伸びていた。エリマイス国内で内通を疑わせるような文書が多数見つかったのである。もっとも、アルザングの手腕によりこれらの文書から内紛や離反が発生するようなことはなかったが。
また、イスファーンはエリマイスのアレイヴァ占拠を不当と非難する書状をエリマイスやアルカディア、ドランギアナの諸都市に何枚も送りつけた。エリマイス近くの駐屯地を補強して要塞化し、大量の武器や食料も運び込んだ。軍勢の一部を前進させることもした。エリマイス国内には緊張が走り、前線の部隊を増強した。
東方のオドニス諸国でも文書が出回り、こちらでは実際に反乱や内紛が起こり大混乱に陥った。
「頃合いだな」
自ら軍船に乗り組んだイスファーンは「フェリドゥーン作戦」の次の段階を開始した。
シャープール王子率いるハマト王国軍6000が突如進軍し、アマルナ川東岸に展開した。アマルナ川西岸の防衛を任されているカフラー将軍は急ぎ軍勢を出陣させたが、砂漠の民を多数含むハマト王国軍はアマルナ川沿いを自在に駆け回り、敵軍を翻弄した。カフラー指揮下の軍勢は歩兵を中心としているため、ハマト軍の動きに対応しきれなかった。そこでカフラーは王都に使者を派遣し、援軍を求めた。援軍は即座に組織され、2万の軍勢が新たにカフラーの指揮下に入った。元からの守備隊を含め2万5000の兵力を手にしたカフラーは軍勢を広く川岸に展開した。
ルジナ島には押さえの兵力のみを残して艦隊を急発進させ、敵国よりも西の海岸に上陸した。そこで密かに同盟を結んでいた現地勢力と合流し、一気に西進して港湾都市を次々と攻略し、軍船や輸送船を焼き払った。辛うじて焼き討ちを免れた艦もまた、海上で手ぐすね引いて待ち構えていたハカーマニシュ海軍の餌食となった。各地の城や砦も弱いものは落とし、堅固なものは周辺の村を焼き払うに留めた。
国内を散々に荒らし回られた敵は怒り狂い、集められる限りの軍勢を召集してイウムの地に進撃した。しかし、ハマト王国軍への対応に2万5000を割いており、さらに各地の城や都市が落とされたことでその守備隊が失われ、集まったのは本来の7万を大きく下回る4万に過ぎなかった。その内訳も騎兵が少なく、ほとんどが軽装歩兵だった。対するハカーマニシュ王国軍は海上輸送である都合上4万の重装歩兵と5000の騎兵しか運べなかったが、同盟軍として騎兵を中心とした2万5000の兵力があった。さらに連れてきた兵もイスファーンの親衛隊である5000の騎兵をはじめ、粒ぞろいの精鋭だった。
中央の歩兵をメフラング将軍に委ね、左翼には現地のヌミディア騎兵1万5000を配置、右翼は親衛隊5000をイスファーン自らが率いた。後に「イウムの戦い」と呼ばれるこの戦いは、あっけなく決着がついた。イスファーン軍騎兵隊は数で劣る敵騎兵を打ち破り、左右から挟撃した。さらにメフラング率いる重装歩兵の圧力は凄まじく、軽装の敵歩兵を正面から粉砕した。敵軍はみるみる削られていき、王族や総司令までもが戦死した。
だが最後にカフラー将軍率いる軍勢が現れ、窮地に陥った友軍を救った。西からの攻撃を聞いたカフラーはこれ以上アマルナ川を守る意味はないと判断し、急いで軍をまとめてイウムを目指していたのである。カフラーの救援により敵軍は辛うじて全滅を免れ、撤退した。この戦いにおけるハカーマニシュ王国軍の犠牲は僅かなものであったが、敵は3万もの死傷者を出した。
イスファーンはさらに追撃を行った。カフラーも決して無能ではなかったが、歩兵中心の軍勢では有力な騎兵を持つイスファーン軍の追撃を振り切ることは難しく、次々と犠牲を出した。一度、伏兵を用いて油断していたヌミディア騎兵に打撃を与えたが、時間稼ぎ程度の役割しか果たさなかった。脱走兵も多く、王都にたどり着いた時、カフラー率いる軍勢は3万にまで減少していた。
イスファーンは王都を一部の軍勢で包囲し、残りの軍勢には国内を徹底的に荒らさせた。町や村を焼き払い、穀物を刈り取って豊かな穀倉地帯を踏み荒し、わずかな守備隊しかいない城や砦を破壊した。港湾都市は重点的に攻撃され、港は焼き払われ船も沈められた。同盟者たるヌミディア人は略奪に明け暮れた。さらに混乱に乗じて南方の狩猟民族も雪崩れ込んできた。
数年では復興できないほどの被害を与えた後、イスファーンは王都の囲みを解き、後はヌミディア人や南方人に任せてわずかに残った港から船に乗り出港した。
「フェリドゥーン作戦」によりケメス王国は甚大な被害を受けた。その損害は、数年はハカーマニシュ王国はおろかその属国にすら対抗し得ないほどのものであった。




