ダードベフの乱
矢の雨。石の嵐。門や城壁に襲いかかる巨大な攻城兵器。そして雲霞のごとく押し寄せる兵士たち。20倍を超える敵の攻撃を受け、セレウキアは陥落寸前であった。
いや、もはや陥落したも同然だった。城壁はあちこちで崩され、多くの守備兵が死ぬか重傷を負っていた。城門は破城槌に打たれて軋み、残った僅かな城兵が必死に門を押さえていた。その努力を嘲笑うかのように、ハカーマニシュ軍は絶え間なく門を殴り続ける。動ける者のいなくなった城壁は、梯子を伝って登ってきたハカーマニシュ兵で溢れた。城門を守る聖鍵軍兵士たちは城壁の上からの攻撃に晒されることとなった。また、ハカーマニシュ軍の一部はセレウキアの要所を押さえるために走った。こうなると、もはや城門を守る意味も余裕もなくなる。地の利はセレウキア城兵にあるとはいえ、ハカーマニシュ軍は彼らの20倍の兵力を有している。いや、度重なる猛攻によりセレウキア軍は相当な数を削られているため、今現在の兵力差は20倍どころではないだろう。セレウキア軍将兵はあちこちで分断され、一人、また一人と殺されていった。セレウキア公アルベリックもまた、乱戦の中で命を落とした。アルベリックを殺したのが一般兵ではなく、キールスだったことが、せめてもの救いと言えようか。
こうして「セレウキア包囲戦」はハカーマニシュ王国軍の勝利に終わった。ハカーマニシュ軍もメフラング将軍をはじめ4000の死傷者を出しており、無傷とは言えなかったが、セレウキア公国及びキリキア伯国を制圧し、アエリア伯国やケメス王国に痛撃を与えたことで士気は盛んだった。
だがその次の夜、勝利に沸くハカーマニシュ王国軍に冷水を浴びせかけるような報告がもたらされた。
王都スーサが占領されたというのだ。
「ほう、反乱か」
ざわめく諸将の中で、イスファーンを含めた数人だけが冷静だった。彼らが特別豪胆なのではない。反乱が起こることを「知っていた」のだ。明確にいつ、誰が起こすかまではわからなかった。だが、恐らくは反乱が起こるだろうことは予期していた。そもそも「フェリドゥーン作戦」は反乱の誘発により不平分子を一網打尽にすることも目的としていたのである。
イスファーンがケメス王国に向かっている間に反乱が起これば、キールス指揮下の2万及びファルボド率いるトゥーラーン方面軍が動く。聖鍵軍との戦いの最中であれば、抑えの兵を残してイスファーン自ら叩き潰す。そういう作戦だった。反乱軍の動きはむしろ遅すぎるくらいだった。イスファーン率いる軍勢は既にセレウキア公国及びキリキア伯国を制圧している。その際、聖鍵軍の半ば以上を殺傷しているため、抑えの兵は最低限で良い。イスファーンが動かせる戦力は増え、反乱軍にとっては不利な状況である、本来であれば。
報告の続きを読み、イスファーンの顔が強ばった。
「都が…スーサが完全に占拠されているだと!?それに…」
ファルボドの死。その文字にイスファーンの目は釘付けになった。
「どういうことか」
「はっ。常ならば早起きのファルボド閣下がいつまでも部屋から出てこられないので、心配した小姓が様子を見に行きました。すると、喉を掻き切られ冷たくなったファルボド閣下が寝台に横たわっていらっしゃったのです」
つまりは暗殺だ。ファルボドの死によりトゥーラーン方面軍は混乱に陥り、直後に起こったスーサでの反乱に対処できなかったのだという。
「首謀者は何者ですか?」
ギーヴがおずおずと問いかけた。
「ダードベフだ」
ダードベフ。ハカーマニシュの名門貴族にしてトゥーラーン戦役では劣勢の中を戦い抜いた勇将でありながら、戦後、イスファーンに靡かなかったために閑職にまわされ不遇をかこっていた男だ。名門貴族であるために親類縁者も多く、その人脈を活かして近衛兵の半ば以上を寝返らせることに成功した。これに秘かに養っていた私兵や傭兵を合わせる。さらに、トゥーラーン戦役の折、エリマイス軍に対して反乱を起こした愛国心に溢れる市民たちを扇動して武装させた。こうして集めた兵士たちを使い、要所を押さえて一気にスーサを占領したのである。残りの近衛兵も多くは降伏し、抵抗した一握りの者は皆殺しにされた。反乱成功後に集まった者も加えて3万を超える兵を手にしたダードベフは物資を集め、籠城の準備を始めたという。
(スーサを攻める、か)
スーサは高い城壁と深い堀、100を超える塔を有する都市である。今しがた落としたセレウキアと比べて規模も堅固さも桁違いだ。籠る兵の数も3万。通常、攻撃側は最低でも守備側の3倍以上の兵力が必要であるとされる。今、イスファーンの手元にある兵力は5万6000。キリキアに配置した兵やシャープールのハマト軍を合わせても6万8000。ファルボド亡き後のトゥーラーン方面軍を再編して一部を指揮下に収めるか、他の方面から兵を呼び寄せるしかなかった。攻城兵器も不足している。聖鍵軍との戦いでは海上輸送により重い攻城兵器を運ぶことができたが、内陸のスーサでは船は使えなかった。さらに、かつてのトゥーラーン連合軍と違いハカーマニシュ人であるダードベフ軍は民衆の支持を得ている。そのため、一か八かの野戦に賭ける必要もなかった。
(くそ、面倒なことだ)
イスファーンはただちに命令を下した。ダルダニアに最低限の兵士を残すと、5万8000を率いてスーサを目指した。途中、各地の駐屯地や砦から兵を集め、軍勢は8万5000に膨れ上がった。さらに宿将オーランに幾人かの幕僚をつけ、トゥーラーン方面軍の元へ派遣した。
スーサに到達したイスファーンは、その6つの城門の前に軍勢を分散させた。北門にはギーヴ率いる1万3000、北東門にはカムランの1万2000。東門はキールス率いる1万8000、南門はミラードの1万2000、南西門はカリア将ファルロフの指揮する1万2000が固めた。「王の門」とも呼ばれる最も大きな西門前には本陣が置かれ、「狼部隊」を中核とする1万8000をイスファーンが直接指揮した。
だが本格的な攻撃はまだ始めなかった。総攻撃はトゥーラーン方面軍の到着を待って行うこととされたのである。その間、イスファーンは包囲陣地の構築を行った。ダードベフは妨害のための部隊を繰り出したが、イスファーン軍の騎兵や軽装歩兵により撃退された。同時に、攻城兵器の製作も進められた。
1ヶ月後、オーラン率いる6万の兵が到着した。これを受け、イスファーン軍は総攻撃を開始した。
後に「スーサの大包囲」と呼ばれる戦いの始まりである。




