(6)
あれから2日が経ち、オシリスが起こした事件が町全土に浸透していた。
なんせこの町で知らぬ者はいないほどの有名な、強欲で残忍でおまけに好色な地主が死んだのだ。
それも死亡理由はははっきりせず、ただその死に顔は鬼のような形相だったと、葬儀に参列した者たちは口々に話した。
まったく噂話というのは、感染病のように一気に広がるものだ。
露店がたくさん並ぶ大通りを歩きながら、オシリスはそんなことを思っていた。
この町での仕事は終わり、また次の罪を喰いにいかなくてはいけない。
――――と、その前に。
先の事件で屋敷から解放してやったセイレーンが、ずっと後をついてくるのにはいい加減うんざりだった。
オシリスはぴたりと足を止める。
そうすれば後ろについて歩いていたセイレーンも、その足を止めた。
大きな溜息を一つ吐いてから、背後に振り返る。無理やり作った笑顔もおまけで付けてやった。
「朝から何度も言ってるでしょ? ついてきたらダメなの」
「………」
「キミはもう自由なんだ、自分の村にお帰り」
「………」
「あのね、聞こえてるなら返事くらいしなさい」
「………一緒に行く」
ぽつりと俯きがちなセイレーンの返事は、オシリスの言葉とまったくかみ合わない。
「いやだから、そうじゃなくてね。村に帰れつってんの。また人里でふらふらしてたら連れ攫われるよ。セイレーンは珍しいし、とても綺麗な生き物だ」
「………一緒に行く」
…………。
人の話を聞きゃしねえ。
オシリスの無理やり作った笑顔に、見事な青筋が浮かぶ。
けれどこんな子供にぶち切れるのは、さすがに大人げないというもの。
見た目こそ少年風のオシリスだが、これでも神の力を継いで300年は経っている。
「知らない人についていくなってご両親に教わらなかったの? 僕はキミをどこかに売っ払うかもしれないよ?」
「………」
「そしたらキミは、また鳥かごの中だ。だからさっさと仲間の元に帰りなさい。もう2度と誰かに捕まることのないように」
「………一緒に行く」
「いい加減に聞きわけないと、さすがに僕も怒るよ?」
「………一緒に行く」
「………………………」
苛立つな、理性的に大人な反応をしろ。
怒鳴るな、まだ目の前の娘は子供。子供なんだ。
必死に自分をなだめるものの、ふつふつと募っていく苛立ちはどうにもならず。
相変わらず立ち去ろうともせず、オシリスの目の前に佇むセイレーンに怒りが爆発する。
「あーもう! 自分の村に帰れつってんだよ、このクソガキ!!」
「………」
「帰る場所があるのはいいことだよ。キミを待ってくれる人もいるだろう?」
「……わたしの、村……」
「そう、村に帰りなさい」
「……村、もうない。待ってる人、みんな連れて行かれて誰もいない…」
そのまま泣きそうな顔をされれば、さすがのオシリスも言葉に詰まってしまう。
自分は何も悪いことはしていないはずなのに、こんな顔をされれば罪悪感が芽生える。
確かに怒鳴ったのは悪かったとは思うが、それでも彼女のためだったはずだ。
やがてセイレーンが本当に泣きだしてしまい、オシリスは呆然と立ちすくんでしまった。
周辺の町人から、居た堪れない非難の視線が突き刺さる。
まだあんなに幼い女の子を泣かせるなんて最低の男ね、なんて言葉もちらほらと聞こえてくる。
こいつが勝手に泣きだしたんだ!とか、好きで泣かせているわけじゃない!など、オシリスの心の悲鳴は誰にも届くわけもなく。
こんな状況、溜息をつかずにいられるだろうか。
「……わかったよ、わかったから泣くのはやめて」
「……一緒に、行くっ…」
「わかったわかった。だからとにかく泣くのはやめてくれ」
「……一緒にっ…」
「わかったっつってんの! ほらもう泣くなよ!!」
オシリスは不器用にセイレーンの涙を拭って、彼女の手を取って歩きだす。
あの状況でいるのは、とてもではないが居た堪れなかった。
急ぎ足でその場を立ち去る。
そうして歩きながら、オシリスはセイレーンに問う。
「……僕が人間じゃないって、キミもしっているだろ?」
「………」
「それもただの生きものじゃない、生きものって表現すら違う。神の力を継いだ化け物だ」
「………」
「僕はこれからもああやって人を喰うし、昨日みたく襲われるなんてことは日常茶飯事。僕と居れば命を落とすかもしれないんだよ?」
「………それでも、一緒に行く」
「ああ、もう…!」
何を言っても、きっともう彼女はついてくるのだろう。
これだから聞きわけのない子供は嫌いだ。
人の都合などお構いなしに、言ったらその我儘を付き通す。
なんだってこんな小娘に好かれたのか、全然ちっとも分からない。
いずれ彼女は自分について歩く旅に飽きるときがくるだろう、それまでの辛抱だ。
ふと後ろに視線をやれば、必死に歩いて火照った頬のセイレーンと目が合った。
これからはこのセイレーンと一緒なのだと思えば、なんだか不思議な気分になる。
今までずっと1人だった、この旅。
いつ終わるかも分からずに、ただ杖が導くままに世界を歩きまわる旅。
これからは2人だといわれても、ピンと来るものなどなく。
遠慮がちにセイレーンが笑えば綺麗な顔だと思わなくもないが、面倒くさいことになったと思うほうが強かった。
「おーい! 黒髪の少年ー!」
聞き覚えのある声に振り返れば、宿屋の主人だった。
息を切らせてこちらに走ってくる。
オシリスがいきなり足を止めれば、後ろを歩いていたセイレーンがそのまま彼の背にぶつかった。
鼻を打ったらしく、両手で押さえている。
「どうしたの? おじさん」
「もうどっかに旅立つんだろ?」
「まあね。もうこの町には用はないし」
オシリスに追いつくころには、主人はすっかり肩で息していた。
持っていたバスケットを、オシリスに差し出す。
「ほら、これ」
「なに?」
「メシ。この砂漠を抜けるには2日はかかるってのに、これだから砂漠慣れしてない人間ってのはいけないよ」
「……そう、わざわざありがと」
「せっかく町のがめつい地主が死んで、これからってときなのに。またいつでも遊びにこいよ」
返事をするかわりに、バスケットを受け取ったオシリスはにっと笑った。
この世には腐った人間がいるのも間違いないが、こうやって温かい人間も確かにいる。
まったく、さほど豊かな町でもなかろうに、根無し草のオシリスに貴重な食料を分け与えるなんて愚かな話だ。
けれどオシリスは知っている。
だからこそ初代オシリス神は、その力を人間のために使うことにしたということを。
確かに人間は非力で愚かな種族だけれども、その内に光を秘めているということを。
そしてそれがなによりも眩しい貴重な世界の産物だということも。
「じゃあこのお返しに、オシリスからの祝福をあげるよ」
「はぁ? オシリスってあのお伽話の神様かい?」
「そうそう。まあ見てなって」
オシリスは杖を強く握る。
先端に納まっている黒曜石が淡く光り、彼を中心に町全体に風が駆け抜けた。
太陽がさんさんと輝いている青空から、途端にしとしとと雨が降り出した。
はじめは気のせいかと思えるほどのものだったが、すぐに地面を濡らす勢いで降ってくる。
砂漠での雨はとても貴重で、このいきなりの恵みに町から感嘆の声が上がった。
雨はすべてを洗い流す。
これも浄化の一つ。
ひいてはオシリス神が持つ能力の一つとして知られている。
目の前にいる主人も驚いたように空を見上げ、その視線はオシリスに移る。
抜けたような顔をした主人を見返すオシリスは、なんとも満足げだった。
ひとしきり降った雨は止んだ。
そして、鮮やかな虹がかかる。
町は滅多にお目にかかれない七色に輝く橋に、さらに歓声を張り上げた。
「あんた、一体……?」
「ただ放浪人だよ」
呆然をする主人に手を振り、オシリスはセイレーンの手を引き町を去って行く。
町にかかった虹とその町人たちの喜びの声が、彼らを見送った。
千の涙と百の嘆きが零れたとき、かの神が穢れ切った魂を食らいに来る。
『死』と『裁き』と『浄化』を司るその神を、あなどることなかれ。
7代目の旅はまだ当分終わりそうにない。




