(2)
「お前も次のオシリス候補に選ばれたよ、この石の心臓に」
そう村長に言われたのは、いつのことだったか。
300年と数十年経つのは分かるが、もう詳しくは覚えていない。
村長の顔も、おぼろげだ。
石の心臓に選ばれることは、その村に住むものにとっては光栄なことだと言われている。
両親がそのことを知ったとき、息子が選ばれたと泣いて喜んでいた。
だから嫌だなんて言えなかった。
オシリスは罪人を裁き浄化するといわれている、この世に埋もれたお伽話の神だ。
けれどこの村ではお伽話ではなく、事実であることを誰もが知っている。
この村にはその神の心臓を受け継ぐ者が、だいたい千年に一度現れるからだ。
選ばれた者は人の生を捨て、神と同等の生を受け直す。
先代が倒れ、村にあるオシレイオン神殿に石の心臓が戻った。
選ばれたのは自分を含めた、数人の村人。
「どうして、僕なんですか」
「神の意志は誰にも分からぬ。けれどもしその神になれるのであれば、分かるかもしれんな」
「………」
そうして皮肉にも、真に選ばれた後継者のは自分だった。
もはや石の心臓を継ぐことを定められ、人を捨てることになる。
獲物の存在をしっかり感じると、どうにもこの心臓が疼いてあんまり眠れないのが難点だ。
あくまで『疼く』のであって、『鼓動する』のではない。
この体に入っている心臓は、普通の人の生命維持装置とはいえない代物だからだ。
それを受け入れているこの体を持つ自分も、もう人とはいえぬもの。
ある者は、こんな自分を神と呼ぶだろう。
人あらざる力を持ち、人あらざる時間を与えられたこの存在。
ある者は、こんな自分をまがい物と呼ぶだろう。
神としての力を得た、おこがましい人間風情がと罵るだろう。
斯くいう自分は後者だ。
もやは人とはいえぬ化け物になり果ててしまった。
こうやって心臓が疼く晩は、呼応するかのように必ず心臓を受け継いだあの時の夢を見る。
気だるさに体が重く感じる気がするが、この体はそんな感傷的なものなど持ち合わせておらず、完全に単なる気のせいだ。
本当はもうちょっと寝ていたかったが、どうにもこの心臓が疼いて寝ていられない。
まだ残る眠気を顔を洗って押し流し、椅子に投げっぱなしだったマントを羽織り、相棒の杖を手に取る。
早く行けといわんばかりに心臓が疼きが激しくなった。
さすがに寝静まった宿屋の廊下を堂々と歩くのも気が引けるので、ひらりとバルコニーから飛び降りる。
満天の星が輝く空の下、オシリスは地主の屋敷に足を向けた。
町一番の地主の屋敷は意外なほど警備は手薄で、あっさりと潜入出来た。
ここは砂漠の中心にある町だし、もとより人の出入りも多いとはいえないせいもあって、さほど用心することがないようだ。
けれど実際侵入して一つ問題があった。その広さだ。
宿屋からの見た以上に広い。
母屋なんかオシリスの泊まっている宿屋が数十軒建てられても余裕があるほどだろう。
おかげで大変不本意ながら、迷子になった。
しばらくは静かに詮索していたが、30分も経たぬうちにこれでは埒があかないと開き直る。
オシリスは目に入る扉を次々と開けていった。
もう何部屋目なのか分からなくなり始めた頃、それまでとは明らかに違う雰囲気の部屋に辿り着いた。
その部屋は広い割には、天窓しか外を知りえることのできない薄暗い場所だった。
唯一天窓から差し込む月光が、部屋を淡く浮かび上げらせる。
なんとなく生き物の気配を察し、オシリスは息を殺して部屋を注意深く観察し始める。
隅に置かれた簡素なベッドと本棚、けれどなによりも目を惹いたのは部屋の中心の高い天井からぶら下がっている大きな鳥かごだった。
鳥を飼うには大きすぎるそれは、鉄線で飾られていてなんとも悪趣味だ。
その鳥かごの中で、なにやらもぞもぞと動くものが見える。
先ほど感じた気配はこれかと歩み寄ってみれば、丸みを帯びた細い四肢が確認できた。
どうやら若い娘を、この悪趣味な鳥かごに入れてあるらしい。
「……ったく。ここの主の趣味、最悪だなあ」
呆れたように呟いて、オシリスはその鳥かごに近づいていく。
その気配にようやく気がついたのか、中の人間がこちらに振り向く。
向けられた顔はまだまだ幼く、12、3歳くらいの娘だった。
警戒しているのか、彼女は脅えたように後ずさる。
こんな扱いをされているのならば、無理もない反応だと思う。
本当ならまだ親が恋しい年頃だろう。
連れ去られたでもしたのか、それとも親に売られたのか。
どちらにせよ、彼女がここに監禁されている理由はまともではなさそうだ。
ゆっくりと近づいていくうちに、オシリスはあることに気付いた。
てっきり人間だとばかり思っていた鳥かごの娘の背には、小さな翼が生えていたではないか。
月光を浴び淡く七色に光っている翼は、この世のものとは思えないほど幻想的で美しかった。
「セイレーン…?」
そういえば…と、宿屋の主人が言っていた言葉を思い出す。
連日この屋敷から、それはそれは人のものとは思えないほどの美しい歌声が聞こえてくると。
主人はどこから歌姫でも買ってきたのかと推測していたが、どうやら間違いだったらしい。
正しく人外のものを飼っていたようだ。
セイレーンの歌声は人を惹きつけ惑わせるほど美しい。
その見目もとても美しく、めったにお目にかかれない貴重種だ。
「可哀そうに……。いくら珍しいセイレーンだからって、まだこんな子供じゃないか」
その鳥かごには鉄線だけではなく、頑丈なカギがいくつもぶら下がっていた。
カギなんぞ1つあれば彼女のようなか弱い子供は逃げ出せやしないだろうに、これもここの主人の趣味らしいと思えば胸くそ悪い。
持っていた杖を握り直せば、先端に付いている大きな黒曜石の内に緑色の炎のような揺らめき。
それをカギに軽く当てれば、一気に風化するかのように塵になって消え失せた。
全部のカギを取り払い、オシリスは無機質な扉を開ける。
「おいで。ここから出してあげるよ」
セイレーンに手を伸ばすものの、彼女はオシリスを敵か味方か判断できないらしく、いまだに脅えるように全身を強張らせている。
天窓から入る淡い月光が、皮肉にもそんな姿をも美しく幻想的に見せつけるのだから、セイレーンという種族もある意味始末が悪い。
震えている眼前のセイレーンは、袖のない簡素なワンピースを着ている。
おかげで露わになっているその細い腕に、いくつもの傷をオシリスは見つけてしまった。
鋭利なナイフでつけられたような、そんな傷。
セイレーンが有名なのは、その美しさだけではないことを知っている。
血だ。
セイレーンの血を飲めば、永遠の若さを手に入れられるという伝説がある。
けれどそれはあくまでも逸話であり、実際はただの血だ。
飲んでも永遠の命など与えらえるわけではないが、どうもそういうことを信じ実践する輩がいるのも確かだ。
彼女もその被害者、というわけか。
ゆえに他者に対し疑念を持つのも分かるが、だからといってこのまま放っておくこともできない。
「大丈夫、何もしやしないよ。ほら、怖がらないで出ておいで」
「…………」
「それとも、ずっとここにいたいかい?」
そう言えば、セイレーンは慌てて首を振った。
それでもしばらくオシリスの真意を探るように見つめていたが、やがて意を決したように差しだされていた手を取る。
彼女の手はオシリスの手よりも1回りも2回りも細く小さく、そしてかすかに震えていた。
「いい子だ」
そっと頭を撫でてやれば、彼女は身を竦めた。




