第7話 屋根の持ち主
屋根を譲っていただくために、私は屋根の上から呼び出された。
もっとも、その時は人間で、はしごの二段目にいただけである。菜園のおばあさんが籠を下ろそうとしていたので、勝手に受け取りに行った。
下で待てば、降りてきたらしい。
彼女は籠を抱えたまま、私の頭より高いところで止まった。
「昨日、葉っぱの場所は言ったろ。足の場所は今日、言おうと思ったんだよ」
「先に足を出してしまいました」
「出せる足を全部出すと、空いてる場所が全部なくなるからね」
はしごを一段ずつ下りた。
地面で受け取った籠は、見た目よりずっと軽い。干した葉は、ひとかたまりのまま持てば簡単に移せる。でもばらばらに散れば、指先の用事が何倍にもなる。
そのことは、おばあさんの方がよく知っていた。
女王陛下は、椅子を運ばせず歩いて来た。
彼女の後ろに、キリさんと殿下。そのさらに後ろには、まだ見たことのない紺の上着の男性がいる。
胸に金の竜の印。
袖には折り目がきちんとつき、腰から真鍮の鍵が下がっていた。
キリさんが、新しく来た男性を私に示した。
「ニカ。こちらがセルヴォ隊長だ」
籠を抱えたまま、頭を下げる。
彼の視線は、横板へ広げた黒い皮へ向かう。
皮の片端には白い鱗。そこを見た彼は、キリさんへ短く何か告げた。距離があって聞き取れなかったが、彼女は裏返した皮を隊長へ見せている。
点検の方は任せる。
籠をおばあさんへ返し、屋根の端を見上げた。
白い石の平たい屋根。日が当たる中央に菜園、壁の近くに干し場所、その下に私たちの机がある。
竜には広いところが要る。
人間にも、干すところと食べるところが要る。
全部が同じ場所にあるのだと、今朝は上から見なくても分かった。
陛下が屋根を見て尋ねた。
「皮はどれだけ場所を使うのですか」
「干す時には、この大きさです。部屋の窓の外でも広げられました」
「では困っているのは、干す場所より、変わった時の場所ですね」
キリさんが横板を戻す。
隊長の指が、竜舎のもっと奥を指した。
高い柱の間に、白い皮が何枚も干されている。遠目にもよく風が抜ける場所だった。戸の前には同じ紺の袖の人が二人、立っている。
隊長は私へ顔を向けた。
「正式な棚を使うのは竜隊と、陛下が許可した試演だけです。皮を点検した順に飛ばす。身勝手に着て飛べば、空で順が衝突する」
風の中で私の声が聞こえなくなった朝を、思い出した。
順が必要なことは、分かる。
しかし彼の指は、皮を干すところから地面の戸へ戻らない。
鍵の場所にも触れない。
横板に残る黒い皮へ目をやった。
「こちらで干すだけなら、構いませんか」
「小さな窓辺に広げるだけで、点検の済んだ皮だと皆に分かるわけではない。竜祭の飛行には、隊の棚を通ってもらう」
彼の言葉は、私が部屋で干した二時間を、いつもの二時間ではなくしてしまいそうだった。
乾くことと、飛んでよいこと。
隊長の腰で、棚の鍵が鳴った。
女王陛下が、隊長の前へ半歩出た。
「試演の点検は続けなさい。今日は、屋根を誰がいつ使うかの話です」
隊長は頭を下げた。
それで話が終わるのかと思ったが、おばあさんは自分の籠を引き寄せたまま首を横へ振る。
「空くところがあるように見えるんでしょう。朝はここに並べて、昼にはあそこへ動かして、夕方には取りこむんですよ」
屋根へ、指が三度向く。
空いた場所が、時間によって移動していた。
私が飛んで見た朝の絵は、街の一日ぶんではなかったらしい。
殿下は足元の小さな椅子を動かし、日陰の線がどこまで伸びているかを見る。
「僕の机も、お昼になると動く。モロの鼻が来るから、昨日は外へ向けたんだ」
「竜は日陰をよく取るよ。日陰まで葉っぱに譲れって言ったら、鼻で桶を押されたね」
陛下が笑った。
持っていた皮を広げる。
ひとつの昼寝場所と、机と、葉菜の籠。
その間に私がどれだけ入るか、まず見てもらうことにした。
八時二十分。
地面の空いたところで銀かんを留め、竜になる。
おばあさんは二歩下がり、籠を抱え直した。
私は翼を畳んだまま、前足の爪だけを屋根の縁へ添える。体の重さは、後ろ足が乗る土へ残した。頭を日陰へ置いたら、爪のすぐ下に籠を通した時の擦り傷が見えた。毎朝この場所へ、いくつも小さな荷物が上がってくるのだろう。
鼻先がその傷を隠す間、どれだけ尾が外へ出るか、自分でも見たかった。
出る。
とても出る。
私の鼻を机の向こうへ入れたら、尾は葉菜の籠の通り道へ入った。
前足を置き直し、頭を少し横へ。
尾を寄せる。
おばあさんの籠は通れた。
かわりに、殿下の椅子が動かなくなる。
「僕、今、君に椅子の脚を挟まれてる」
「座らないでください」
「まだ座ってない。椅子だけ先に困ってる」
私は頭を上げた。
頭と尾と椅子と籠を、全部同じ日陰へ入れることはできない。体が大きいから分かるはずと思ったのに、大きい分だけ、邪魔な場所が遠くにあった。
なら、私の方が使わない時を決める。
葉菜がここへ来る朝には、頭をこちらへ置かない。
机に人が座る昼には、人間で来る。
私が大きな体で練習する時だけ、空き地へ出る。
皮を干す横板は、その間も、小さいまま置いておける。
私は籠と椅子の間から、自分の前足を外した。
おばあさんが空いた通りへ立ち、籠を一度持ち上げる。
「これなら通れる。朝の葉っぱは、あんたの鼻の向こうへ回せそうだ」
「取りこむ時には、人間の手で持ちます」
「頼んだらね。今から全部持たなくていいよ」
その言葉に、ちょうど伸ばしかけていた私の爪が止まる。
女王陛下が、机の角を叩いた。
「私の屋根は、私が譲ります。けれど籠の道は、この人に決めてもらいましょう」
彼女は奥の棚を指ささなかった。
横板を指した。
「この板は仮の干し場所として使いなさい。広くしたい時には、ここに来る人に先に聞くこと」
礼をしようと、大きな頭を下げる。
とたんに、鼻が机へ近づいた。
頭を下げて礼をするにも、場所が要る。
殿下が机を少し動かし、おばあさんは籠を反対の手へ持ち替えた。私が人間に戻るまで、その二人の小さな動きが、ぶつからない隙間を残してくれる。
八時二十九分。
銀かんを外し、私は自分の膝で土へ座った。
おばあさんが、その膝の前へ空の籠を置く。
「人間に戻ってからの約束の方が、覚えやすいね。今日はこれを洗ってくれる?」
頼まれた。
私はようやく、その籠を受け取った。
横板へ皮を広げていると、隊長が戻ってきた。
キリさんへ時計を示し、午後の試演を十三時から開くという。私のことを見たい人が、城の外にも集まっているらしい。
喜ぶ前に、彼の指が皮の白い鱗へ置かれた。
「午前にもう一度、立ち方の点検をする。午後の飛行で距離を測り、竜祭へ出せるか決める」
「点検で一回使えば、残りは一回です」
「見せる時に使える一回を残せばよい」
私は、袋の口を握り直した。
さっき、自分の足がどこへ出るかを確かめるのに一回。点検でもう一回。見せるのに一回。
三回が、ぴったり全部になる。
今日は使えるという話だった。
今日使わなければならない、とは聞いていない。
でも人が集まるなら、空へ上がった方がよいのだろうか。殿下が持つ空の皿まで見られる気がして、私は洗い終えた籠の縁を指で押した。
まだ少し濡れている。
隊長が去ると、おばあさんが横板の片端を持ち上げた。
少し傾け、風の入る方へ向けてくれる。
「午後、派手に飛ぶのかい」
「距離を、測るそうです」
「遠いほどよいなら、帰る分も入れて数えるんだよ」
籠を逆さにして、残った水を切った。
殿下が白い傘を持って立つ。
「僕は屋根の下なら、大きくならない。飛んでいる間も、帰る場所の番はできるよ」
ありがとうと言いかけると、彼は洗った籠へ手を伸ばした。
私の指がその縁を、まだ押さえている。
今度は二人とも引かず、一緒に横板の下へ置いた。
私の残りの回数は、まだ二回。
帰る場所は、先に一つできた。




