第33話 新しい皮は贈り物ではない
「モロ、脱ぐ方へ曲がるのは、そっち?」
殿下が道の真ん中から退いた。
大きな首が通り、浮いた皮の端が柱へ当たる。モロは嫌そうに肩を振った。
私たちは、朝からそこを見ていた。
今朝の足首は、もう腫れていない。歩いて曲げても痛まず、手当の人に走る前から確かめるよう言われたので、まだ歩いて来た。
久しぶりに、両方の足の裏が同じ場所へある。
モロの方は、両方の肩を同じようには動かせないらしい。
右を柱へ寄せ、左を反対へ引く。皮の端が、ぺり、と離れる。
立ったまま手を握る。
早く外れればいいと思う。それでも、その端へ爪を入れたくなる気持ちは、袖の中へ隠した。
モロは途中で、杏子を食べ始めた。
半分だけ浮いた皮を肩へ載せたまま、箱へ鼻を入れる。
殿下が空の袋を裏返す。もう入っていないと見せても、モロは一度だけ袋の底を嗅いだ。
「着替えの途中で朝食に戻るんだね。僕も、上着を着る前に食べたくなる時はある」
「着てからだと、こぼせませんものね」
彼は自分の袖を見る。そこに少しだけ、今朝のジャムが付いていた。
二人で笑っている間、モロは首をもう一度柱へ擦る。
今度は背の端まで浮き、肩から古い衣装を落とすように、大きな皮が地面へ滑った。
声が出かけた。
でもその端にはまだ、尻尾へつながる部分がある。
モロが尻尾を持ち上げる。反対の足で端を踏み、少しずつ、体を前へ出した。
抜けたあとにも同じ大きさの竜がそこにいる。
昨日まで見ていた背より、墨の色が深い。
彼女は新しい背を一度こちらへ向け、すぐ首を伸ばして草を嗅いだ。
痒いところがなくなったら、次は草の匂いを確かめる。私たちへは、顔も向けなかった。
地面に残った皮を、私たちは囲まなかった。
殿下が離れた所へ箱を置き、キリさんは落ちた鱗を靴で踏まないよう拾う。
椅子へ座る。
その皮を貸してくださいと、まだ言っていない。
飛びたい。家を見たい。殿下を乗せたい。
どの言葉もあるけれど、モロが今、そこへ戻って来るかは別だ。
彼女は庭の水を飲み、戻る途中で私を嗅いだ。
足の布がなくなったのを、鼻で確かめるように近づく。
「今日は、痛くありません。あなたも、痒いのがなくなりましたか」
モロは私の肩へ鼻を置いた。
重いので、私は右の手で椅子を押さえる。すると彼女が少し離れ、新しい皮の端を鼻でこちらへ押した。
最初に日陰へ椅子を移した時と、同じ向き。
皮が膝の前まで来る。
まだ引かず、両手で端を受けた。
「借りても、よいんですね」
モロは鼻をもう一度寄せ、殿下の袋へ顔を向ける。
殿下は空の袋を隠し、今度は新しい杏子を持って来ると約束した。
モロの肩が痒くなくなる日が、今日だった。
その皮を、今、彼女が私へ貸してくれる。
端を膝へ載せ、指で滑らかな面を撫でた。
新しい皮は、まだ少し湿っていた。
キリさんが翼の根を広げ、白い鱗のあった場所を確かめる。今度は厚さがそろい、曲げても向こうの明かりが透けない。
指の下で、新しい一枚がしなやかに戻る。
「今日は地上から確かめる。飛ぶのは、干した後の点検を受けてからだ」
頭を通す前に、自分の足で庭を歩いた。
止まって、左のつま先へ少し体重を掛ける。
痛みはない。
戻る場所の草を足で押さえ、皮の端へ銀かんを留めてもらった。
十時十二分、目線が高くなる。
あの皮を返してから一晩なのに、柱が肩より下へ来るのが懐かしかった。
左の翼を広げようとして、私は先に足元を見る。
今ここで、飛ぶ仕事はない。
翼は畳んだまま、四歩だけ進んだ。
キリさんが体の左右を確かめ、殿下が後ろから袋を運ぶ。
人を乗せる前の重さの練習に、穀物の袋を用意してくれたのだ。
彼と同じ重さになるよう揃えてあり、荷を支える位置を一つずつ替えてくれる。
背へ最初の袋が載る。
人間の時なら肩へ担ぐものが、竜の背へは小さく収まる。
でも次の袋まで載ると、立つ足の使い方が変わった。
前のめりになると、荷が首へ滑りたがる。首を高くすれば、それだけで背の傾きが変わる。
足を止め、キリさんが留め方を見直すまで待った。
殿下は地面で、私の背を見上げる。
「そこへ僕が座るんだね。袋は怖いと言わないから、僕はそこだけ負けそうだ」
「袋は、帰りたいとも言えません。殿下なら、先に教えてください」
彼は笑う。
私は袋へ声を掛けるふりで、まだ歩いていてよいか尋ねた。
殿下が地面から、もう三歩なら、と返す。
荷を載せたまま三歩。
左足へ痛みは戻らず、翼の根も引かれていない。
それでも、空へ出た時の重さはまだ知らない。次に飛ぶ練習でも、先にこの荷を使おうとキリさんへ頼んだ。
「そうする。今日の二回目は、点検が通ってから短く飛ぶ。殿下は乗せない」
了解と答え、荷を降ろしてもらった。
十時二十分に人間へ戻る。
朝から待っていた新しい皮は、私の肩へすぐ畳めるくらい軽くなった。
キリさんが、ここから二時間干す、と台を指す。
新しくても、そこは同じだった。
人間へ戻ると、殿下が袋を両腕へ抱えたままこちらへ来た。
背に載っていた分の一つを、運んでいる。持ち上げる時に少しふらついたので、私は近くの箱を指した。
「そこへ、一度置きましょう」
「僕と同じ重さの袋を、僕が全部持つのは難しいね。自分の体なら、一人で歩けるのに」
袋を置くと、彼は私の背がどう見えたか話してくれた。
さっき歩いていた時、首が上がる度に背が傾いた。自分が座っていたら、怖くなったかもしれないという。
私は、練習したいところがまた一つ増える。
それを聞いても、すぐもう一回皮を着ることはできなかった。
殿下が袋へ座りかけ、今度は私に止められる。
「そこへ座ったら、乗る前に乗員の重さが増えます」
「袋と僕で二人ぶんか。これは、箱にしよう」
彼は隣の箱へ腰を下ろした。
笑う声の向こうから、ダフネが来る。
新しい皮が出たと聞き、父が着く前に一度見ておきたかったという。
「きれい。こっちの方が青いの?」
「墨の色が濃いと思います。モロ自身も」
彼女は皮の端へ顔を寄せ、朝の歌の話へ戻った。
布の山は本番も使う。窓の後ろに竜の顔を出す形へは戻さないと、先に言う。
私は頷いて、昨日の鍋の役を続けたいと答えた。
「そっちはニカのまま。竜になれても、自分の台詞を言い忘れないでよ」
彼女が私の袖の青を指す。
新しい皮を手にしたら、昨日の私まで脱げるわけではない。でも、昨日の台詞なら今日も覚えていた。
私は小さく、湯気だけ吸わないでください、と読んだ。
ダフネは笑い、父を迎える道を殿下へ訊いてから舞台へ戻った。
十時二十五分、私たちは皮を広げた。
私設台は晴れた鉢置き場へ戻してある。箱の上の横木が、昨日より少し擦れていた。
モロは新しい皮を見てから、日陰の自分の古い皮へ顎を載せる。
貸したものを、昼寝の枕と取り替える気はないらしい。
台へ落ちていた鱗を一つ拾う。
粉になるほど薄いので、手紙の中へ入れるのはやめる。代わりに家へ、新しい皮を借りて足も痛くなくなったと書こうと思った。
杏子を持って、殿下が戻った。
酸っぱい方をモロへ渡し、甘い方を私へ差し出す。
口へ運ぶ前に、足首をもう一度曲げた。痛みはない。今度は急いで動かさず、そのまま杏子を受け取って、午後の集合を聞いた。
正式な棚の前では、もう明日の順を待つ列が出来ているらしい。
飛ぶ人が増えるほど、隊長一人の指では点検が追いつかない。
キリさんはその列へ行く。
「皮は十二時二十五分まで干せ。私が戻るまで、空へ出るな」
杏子を持った手を上げ、返事をした。
殿下は台の端に揺れる札を見る。
最後の文字が横向きのままなのを、今度は直さない。
「待っている間、これを食べよう。袋は君の分と、僕の分」
彼の隣へ座った。
新しい皮が干されていても、その時間を早めるために竜になることはできない。
甘い杏子は、人間の口へちょうどよい大きさだった。




