第24話 僕は地上を担当する
「この羽根は、僕よりよく飛びそうだ」
演習場へ呼ばれて行くと、殿下が帽子を抱えていた。
祭の日に王族がかぶるものだそうで、飾りの羽根が風に揺れている。その先を目で追う。羽根だけなら怖くないらしい。
「今日も舞台にいるのでは?」
「窓の糸を替えている間に、母上に呼ばれた。夕方まで戻れないかもしれないから、ダフネにも伝えたよ」
私の台詞を聞く約束は覚えている、と彼が付け足す。
午後の窓の試演は、ダフネたちが進めている。ここにいても見えるはずなのに、私は舞台の方を見ないようにした。
殿下は羽根の帽子を机へ置き、代わりに麦藁帽子をかぶる。
「これはもっと飛ぶ。紐がないから、風が吹くと先に行く」
彼の首の後ろへ、帽子を留める紐が垂れている。
「付いていますよ」
「今、キリが付けた。王子様へ、ほどけない結び目の祝福を」
「ほどく所は残した。首ごと持っていかれたいなら締め直す」
乾いた声に、殿下はすぐ帽子の紐を確かめた。
机の向こうで、セルヴォ隊長が明朝の飛行の順を読み上げる。
広場の端には、旗の人と鍋のお父さんがいた。パンの人は店へ戻ったらしく、今日は店の手伝いの若い女性が歌詞の布を持っている。
全員、飛ばない人だ。
なのに隊長の声は、空へ出る者の名前だけで先へ進む。
キリさんが机の上へ、小さな紙を一枚置いた。
「その帰りの道に、地上の山を置く時間が重なる。こちらを先に終える」
「空の巡回は順を変えられない。山の方を後へ」
女性が歌詞の布を下ろす。
「明日、その時刻まで待つと、お店の昼の仕込みに間に合いません。今日は代わりに来ただけなので」
隊長の指は次の名前を示したまま動かない。
殿下が机の紙を取った。
「空から戻るのは西側だね。地上の山を東へ動かしたら、帰り道は空く?」
キリさんが場所を指で示す。隊長はそれを追い、舞台の背へ抜ける道には荷物があると答えた。
気づくと手が上がっていた。
「私が運べば、すぐ空きます」
「まだ運ぶと決めていない」
手を下ろす。肝心の紙は、まだ見てもいない。
殿下は自分で道へ行った。
戻った時、腕には藁の束を一本抱えている。それだけで紙の中の道がどんな場所か、少し想像できた。
「荷物は藁の束が四本と、空の籠。舞台の箱を動かす必要はない。ここへ寄せるのは、持ち主に聞いてから僕がやる」
彼が示した所は、人間の客が立つ予定の場所でもある。
鍋のお父さんが、そこだと子を待たせる所がなくなると言った。
話は一度戻る。
私は、竜なら一息で運べるのにと思いながら、殿下が帽子の下で額を擦るのを見ていた。
空の順を変えないなら地上の人を押し出せばよい、という形には、なかなか落ち着かない。
陛下は途中から来て、紙の端を押さえた。
「トビア。朝、頼んだ役について、考えた?」
彼が帽子を脱ぐ。
「僕が最初に飛ぶ挨拶は、兄上の帰りを待って頼んでください」
王太子殿下は今、別の領地を回っているそうだ。祭には戻るけれど、今日の相談にはいない。
隊長は飛行順の先頭を見た。
そこに、殿下の名前があった。
隣の彼へ顔を向ける。帽子の紐が片方だけ耳へ掛かり、ほどけなくなっていた。
「僕は地上を担当する。名前を呼んで送り出す役と、戻った人が立つ場所を空ける役。キリの合図を、客へ伝える」
羽根付きの帽子は机の上にある。
隊長の手が、その脇へ置かれた。
「王族が最初に空を見せれば、客は祭が始まったと分かる」
「僕がここで喋ると、客にも祭が始まったと分かると思います。普段から、喋り過ぎると言われているので」
殿下の返事に、旗の人が吹き出した。
けれど次の声は、さっきより低い。
「空へ出ないから、何も引き受けないと思われるのは嫌です。明日から、地上の集合時刻も僕が読み上げる」
陛下は彼の帽子の紐を、耳から外した。
「それなら、今決めた役を務めなさい。呼ぶだけ呼んで、おやつの方へ行かないように」
「袋を持って呼びます。待つ人にも渡せる」
「袋が足りるかは、あなたが確かめて」
陛下の声に、殿下が自分の袋を見る。
中には半分だけ残ったパンが一つ。
彼は鍋のお父さんへ半分を渡し、旗の人へ、あとでまとめて取ってくると告げた。
全員へ配るには、足りない。私の分まで確保した顔をして、すぐ中身がなくなるのがおかしかった。
実際に人を呼んでみると、紙の上と違うことばかりだった。
殿下が旗の人を呼ぶと、彼は手ぶらで動く。旗は広場の反対側にあった。
鍋のお父さんは子の名前まで返事に混ぜる。子は今日は来ていないのに。
キリさんが一度全員を止め、道具を先に持つよう言った。
その後、殿下は名前の代わりに『旗を持つ人』を呼んだ。
それなら動く前に分かる。
私の名前は最後だった。
「山は、まだ人間で来て。足元から見たい」
舞台の山の場所へ歩くと、旗の人が横へ並ぶ。
竜なら視界の下へ隠れるくらいの高さ。でも人間の私は、彼の旗が継ぎ足されているのまで見えた。
三人が歌い終わり、また最初へ戻る。
今度は殿下が私へ、空から降りるふりをして来てほしいと言う。
私は地面で両腕を広げた。
旗の人が同じことをしたので、二人の腕が軽くぶつかる。
「本当なら、この六倍くらい横にあります」
「じゃあ、ここには立てませんね」
彼はすぐ二歩下がる。
キリさんはさらに下げ、その場へ箱を置いた。人間の腕を大きく見積もるより、最初から箱を見た方が分かりやすい。
殿下が箱へ腰掛けようとして止められた。
「翼の場所だ」
「そうだった。つい、座るために置いたものに見えた」
笑う私へ、彼も笑い返す。
それが、昨日から初めて、殿下と並んで出せた声だった。
最後に、隊長が箱の外を歩いた。
端へ置いた箱を靴で押し、もう半歩、広場の外へ寄せる。
「翼を畳む前に人を寄せるな。風が下へ落ちる」
キリさんは箱の位置を覚え、殿下は旗の人を呼ぶ言葉へそれを加えた。
隊長の言うことを、二人とも捨ててはいない。先にどこを空けるかが分かると、鍋のお父さんまで、自分の足で距離を測り始めた。
一歩ずつ進む姿を見て、私は少し安心した。
殿下のそばへ行くと、麦藁帽子の縁に、糸の切れ端が付いている。舞台で窓の糸を替えた時のものだろう。
取ってあげようとした手を止め、帽子を指した。
「赤い糸が、付いています」
「右? 左? 僕から見て右は、ニカから見て左だね。ええと、どっちを向けば」
首を何度も曲げる彼の肩が、私の肩へ寄る。
結局、帽子を脱いで、取ってくださいと差し出してきた。
今度は取ってもよい。指先で糸をつまみ、彼の手のひらへ置く。
受け取る手は、思ったより温かかった。
「ありがとう。明日は僕の帽子も飛ばないように見ていて」
その頼みまで、私はすぐ頷きかけた。
翌朝は、地上の集合を空の巡回の前に済ませることになった。
私は一度、上から旗の場所を見て降りる役を頼まれる。
飛行の点検は隊長が朝に行い、着地をキリさんが見る。広場の周りを一周だけ。皮は部屋で乾いているので、朝、正式な棚へ持って行く。
「一周で、全部見えますか。向こうの舞台も見ておいた方が」
「見るのは旗。ダフネの舞台は、明日の飛行では触るな」
昨日の声が戻り、私は旗へ目を留めた。
殿下は机から自分の名前が消えた紙を持ち上げる。
代わりに、下の方へ書かれた『地上の呼び出し』に、彼の名前があった。
「明日、僕が最初に呼ぶね。今日は夕方、山が夕飯を頼む声を聞く」
私は台詞の紙を開いて見せた。
最初の一言を彼が読むと、窓のおじいさんの声になる。山がおじいさんになったところを想像して、二人で笑った。
部屋へ戻ったのは、まだ日が高いうちだった。
椅子へ掛けていた皮を広げ、折り重なった端を直す。
左の翼の根元が、服のボタンへ少し引っかかった。
外して、撫でる。
明日、旗を見る一周。それならちゃんとできる。
私は手を離し、夕方に読む台詞の紙を机へ置いた。




