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竜になれる令嬢ですが、王子様は人間の私にもおやつをくれます  作者: ヲワ・おわり


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15/19

第15話 今日は応援席にいます

「観覧には、順位は付かない」

セルヴォ隊長の指は、まだ私の順位札の上にあった。

白い札。そこへ墨竜と書けば、私が今日飛ぶ順番をもらえる。

競技場の向こうに、黄色い旗が並んでいる。近い方から三つ、四つ、その先にも小さな色が見えた。借り手が順にそこまで飛び、戻れる距離を測るのだという。

昨日から聞いていた話だった。

なのに、朝八時の競技場で、私の方はまだ皮の袋を開いていない。

「あの。今日は、見る方でもよろしいでしょうか」

隊長の手が止まる。

隣では、キリさんが私へ目を向けた。

「具合が悪いか」

「いいえ」

食べた朝食も、靴の中も、いつもと変わらない。

皮は乾いているし、今日は雨の予報もない。

飛べない理由を探せば見つかりそうだったが、ないものを言いたくなかった。

「ほかの方が飛ぶところを、ちゃんと見たいです」

遠くまで行く竜を、私はまだ下から見ているだけだ。

上から見ればもっと分かるかもしれない。けれど上へ出れば、今度は、自分が降りることを考えるだけになってしまう。

今日はダフネも来ると言っていた。

客席で一緒に杏子を食べよう、と。

その約束まで、隊長へ言うべきなのだろうか。

彼は札を重ね直した。

「飛行を見せなければ、飛行の席は取れない」

「はい。今日は、取りません」

言い終わってから、手が皮の袋を握り直す。

そんな答えでも、この場所へいてよいのだろうか。

キリさんは時計をしまい、袋の口を結んだ。

「では、観客席。私は向こうを見る」

彼女は自分の仕事の方へ行った。

私も、今日座りたい方へ足を向けた。


観客席は木の長い台だった。

西庭のいつもの石段より高いが、足は地面へ届く。上の列には、子どもを膝へ載せた人がもう並んでいた。

殿下が真ん中で、紙の袋を二つ持っている。

「ニカ。こっち。ダフネの隣を取ったよ」

「あたしも、殿下の隣を取った。だから、いま殿下が真ん中」

「お二人で取ると、真ん中が二つになるのですね」

「うん。もう一つ動けば、君も真ん中」

殿下が横へずれ、ダフネはすぐ反対側へ回った。

私は二人の間に座る。

右に青い袖、左に歌い手の袋。

いまから誰かに見せる支度をする席と、こんなに違うとは知らなかった。袋を膝へ置き、靴をきちんと前へ並べる。

ダフネが、自分の袋を開いた。

中には杏子の串がある。

丸い実の焦げたところへ、薄い蜜が固まっていた。香りが甘い方なので、私はすぐ手を伸ばす。

「最初の一人が帰ってくるまで待って。開演前に全部なくなると寂しいから」

「競技も開演なんだね」

「人に見せるなら、そうでしょ。ほら、今の子もずっとこっちを見てる」

競技場で、小さな緑の竜が頭を上げた。

竜として小さいのだが、人間の私よりはずっと大きい。背に乗っている人はいない。あの顔の中に、今日飛ぶ借り手がいる。

席から遠くても、鼻の上げ下げがよく見えた。

私も飛ぶ前には、ああやって下ばかり見ているのだろうか。

鐘が鳴る。

殿下が両手を開いた。

「行ってらっしゃい!」

緑の翼が上がり、風が前の旗を揺らした。

あっという間に体が軽くなったようで、竜は競技場の壁を越える。尾が、その動きに遅れずついていった。

殿下の両手は、もう膝の上で組まれていた。

昨日モロへおやつを渡す時には、こんなに固く組んでいなかった。

空へ上がるところを見るだけでも、彼には怖いのかもしれない。

私は何か言おうとした。

その前に、ダフネが串を一本渡してくる。

「いまの、こっちを見て飛んだね。誰が来てたんだろ」

端の席で、老夫婦が手を振っていた。

竜は黄色い旗を一つ越え、次を越える。三つ目の手前で曲がり、こちらへ戻ってきた。

殿下の手が、組んだ形からほどける。

「帰っておいで!」

その声の方が、出ていく時より大きかった。

私は口へ入れた杏子を、急いで飲みこむ。

拍手のために串を持ち替えたら、ダフネが笑った。

「食べてからでいいよ。あたし、二人ぶん叩いてる」

緑の竜が降りた。

足が土へ触れ、尾がそのあとへ落ちる。時計を持つ人が合図をし、立っていた借り手たちが近づいていった。

殿下の手が、私の横で鳴る。

老夫婦の方から、名前を呼ぶ声がした。

私も、知らない借り手へ拍手した。

飛べたことより、戻ってきた体の方を、長く見ていた。


次の竜はもっと遠くまで行った。

次の次は、最初の旗が近づくと、こちらへ鼻を向ける。

私たちは一人ずつ、帰ってくる方へ声を掛ける。

何頭目かで殿下が少し先走り、まだ出ていくところへ「帰っておいで」と叫んだ。

緑ではなく灰色の頭が、空で一度こちらを向く。

「殿下、一羽ずつ数えなよ。いまの、まだ行ってる」

「うん。僕の拍手は、帰りがいちばんうるさいから、つい帰りを待ってしまう」

「どの方も、ちゃんと戻ってほしいですものね」

「そう。長く飛ぶより、そっちを先に褒めたくなる」

そのせいで、自分は空へ乗れないのかもしれない、と言いかけたようにも聞こえた。

けれど彼は杏子の串を持ち、残った一つを齧る。

私はその口を見て、また自分の実へ戻った。

聞いてよいことと、今聞きたいことの間には、時々、串の一口ぶんがある。

向こうでキリさんが旗を立て直していた。

立ち上がって手伝おうとすると、ダフネが私の袋へ自分の肘を置いた。

「それは、あそこの人たちの仕事。こっちは、次の杏子の仕事」

紙の底に、まだ二本残っている。

一つは、酸っぱそうに赤い。

甘い方を指す。

ダフネの手が、もう一つを殿下へ差し出す。

「それ、ニカが選ばなかった方だね」

「殿下なら少し酸っぱくても、お客の顔のまま食べられるでしょ」

王子様が、立派なお客の顔を作る。

そして齧り、すぐ眉を寄せた。

私とダフネが笑ったら、殿下は同じ串をもう一度持ち上げる。

「笑った二人には、分けてあげられないからね」

「ぜひ、一人で召し上がってください」

こんなことを言ってよい王子様がいる。

座り直して、靴をもう少し前へ出す。


午前の試演が終わる頃、飛距離の札が並んだ。

私の札はない。

最初の緑の竜だった人は、六番目のところへ自分の名を見つけた。老夫婦の方へ走っていき、見ていたかと尋ねる。

見ていた、と二人が同時に答えた。

殿下は席の上から、その三人へ手を振る。

順位を聞く声は、こちらまで届かなかった。

競技場の鐘が、もう一度鳴った。

私は皮の袋を持ち上げ、使わなかった重さを膝から下ろす。

たった一回も着ていない。

家へ出かけた昨日の午前も、そうだったのに、今日は、それを誰かへ言うのが少し難しかった。

「私は、何も見せませんでしたね」

殿下は空の紙袋を畳んだ。

「うん。僕は君と一緒に見られて楽しかった」

言い足さない。

役に立つところはあった、と、あとから探してもくれない。

私も紙の袋を畳んだ。

指先に残った蜜を拭くと、甘い匂いが布へ移る。

今日の私が持って帰るものは、これでよさそうだった。


ダフネは台詞の紙を鞄へ戻し、門のところで別れた。

「あたし、今日の六番目の子みたいに、歌い終えたあと走りたい。走る相手は、まだ来てないけど」

「お父様でしょうか」

「うん。声だけならどこまでも飛ぶけど、顔は客席まで来てもらわなきゃ」

彼女は鐘の入った鞄を振った。中の鐘は布で押さえてあるので鳴らない。それでも、彼女が鳴らすつもりの音が、今は前よりよく聞こえた。

帰り道、殿下が折った紙をくれた。

順位札よりずっと小さく、角に杏子の種の絵がある。

「次の、試演でしょうか」

「僕のお茶の招待。今日の午後三時から。場所も書いたよ」

裏返すと、低いテラスと書いてある。

それから、好きな形で来てください、と。

大きな体で来る方が、何かお手伝いできるのかもしれない。

そう思って顔を上げる前に、殿下が自分の袋を指した。

「おやつはもう僕が選んだ。席へ来るほかは、特に用事がないよ」

紙を、皮の袋へ入れないで、上着の内側へしまった。

彼が私の小さな絵を入れたのと、同じところだった。


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