第14話 同じ顔で酸っぱい顔
母の杏子を割ると、種の片側だけが赤くなっていた。
匂いを嗅いだだけでも、口の奥が酸っぱくなる。
私が実を戻すと、モロは鼻の上で受け取り、器用に口へ落とした。種だけが食卓の端へころんと出てくる。
八メートルの竜にも、食べ物を選ぶ鼻があるらしい。
私にもある。
けれど、同じ顔になったら選び方も同じになるかは、まだよく知らない。
「ニカは、さっきから食べないね」
「お母様は、煮るための実を入れてくださったので。そのままは、少し」
「モロはそのままが好きなんだ。待ってて。僕の甘い方も持ってこよう」
王子様は包みを持って戻ると、食卓に甘い実と酸っぱい実を並べた。
モロの鼻が、いちど反対側へ行き、すぐ酸っぱい方へ戻る。
私には、甘い方の黄色いところがよく見えた。
夕方の竜舎で、食べたいものが二つに分かれている。
同じ顔を二つ並べて、殿下は私を選べるだろうか。
そんなことを思った口が、先に開いてしまった。
「私が黙っていたら、どちらか分かりますか」
「竜になって?」
「はい。モロも喋りませんから」
彼の手が、甘い杏子を一つ持ち上げた。
「やってみようか。間違えたら、モロにはとても迷惑だろうけど」
竜舎の屋根の下へ、キリさんも来てくれた。
皮は今日はまだ使っていない。彼女は時計を出し、広い庭の方へ私を向かせる。
モロが食卓を離れ、ついてきた。
私を見たいのか、包みの方を見たいのか。
たぶん、後の方だ。
十七時十二分に、皮の端を前で合わせた。
頭が高くなり、モロの顔が近くなる。真横へ並べば同じ高さだが、彼女はすぐ庭の壁へ体を寄せてしまった。
あちらの日陰が好きなのだ。
私はその反対側へ足を置き、翼を体へ畳む。
口を閉じると、鼻から息をする音がよく聞こえた。
モロの方も、同じような音がする。
殿下が二頭の前へ来た。
同じ顔を交互に見ている。眉を少し上げてから、キリさんへ目を向ける。
「並んだら、本当に同じなんだね。足を一つ動かしてもらえば、分かるかな」
「それは、モロが返事をする気になればな」
返事はなかった。
庭の反対側にある甘い包みへ鼻を伸ばし、途中でやめる。その鼻を自分の足へ載せて、目だけ殿下へ向けていた。
もう座ったまま食べるつもりだ。
私は胸を張りかけた。
でも胸を張れば、立派にやろうとしている方がニカだと分かってしまう。
元の位置へ戻し、鼻を下げる。
「いま動いた方が、ニカかもしれないけど」
「モロも腹が空けばよく動く」
殿下が、甘い実を一つ投げた。
私の目はそれを追い、右の前足が持ち上がる。
隣の頭は動かなかった。
地面へ落ちた実を拾いたい。けれど遊びのために、誰のものか決まっていない食べ物へ先に鼻を出すのは恥ずかしい。
持ち上げた足を戻した。
殿下は屈み、その実を拾ってから、今度は酸っぱい方をモロへ見せる。
彼女の目が開いた。
口も開いた。
次の実は、土へ触れる前に消えた。
「うん。僕は杏子を、好きな方に渡したいだけだからね」
彼が私へ近づいてくる。
手の中には、甘い実。
差し出されたものを、私は鼻で受け取った。モロの真似をして上へ弾くつもりが、横へ滑ってしまい、キリさんの靴の近くへ落ちる。
黙っていたいのに、謝りたい。
尻尾が、足の後ろで土を掻いた。
キリさんが実を拾った。
「ここだけでも、十分違う」
「そう。でも、見分ける方を試してたんだから、落とす方はおまけで」
殿下が実を二つに割り、私の口へ一方を入れる。
甘かった。
いつもの私の舌が、そこにある。
酸っぱい方を好きになるために、大きくなったわけではなかったらしい。
続きを待ってしまい、思わず口を開けた。
「もう半分も、よろしいでしょうか」
「喋ったら負け、なんじゃなかった?」
しまった。
モロの頭が、殿下の手へ寄ってくる。
私が負けると、甘い方まで彼女のものになるのだろうか。
殿下はその頭を片手で押し返し、残りの半分を私へくれた。
「僕はどちらが勝っても、君に甘い方をあげるよ。ここは競争してないから」
顔が熱くなる。
竜の顔で熱くなっている時、鱗の色は変わるのだろうか。自分では見えないので、私は頭を下げるしかなかった。
キリさんが、壁の下の椅子を動かした。
モロの後ろ足が、小さな日向へはみ出していたのだ。
椅子があった場所へ、尾がするすると入る。
その動きに見覚えがあった。
到着した朝、温室の裏で、私が椅子をずらした時にも、同じ尾が日陰へ入ってきた。
そのあと、皮が肩へ。
モロへ顔を向けた。
「もしかして、椅子のお礼だったのですか」
彼女は鼻を上げる。
殿下の酸っぱい包みへ、鼻先が伸びた。
「何のお礼?」
最初の朝のことを話す。
彼が鉢を持って温室にいる間、私が日陰の椅子を動かしたこと。モロが肩を押したので、離れた方がよいのかと思ったこと。
皮を貸してくれた理由だけは、今まで誰にも話せなかった。
大事な使命があったらどうしよう。
伝え方を知らない私が、竜の望みを聞き逃していたら。
そう思ったこともあった。
キリさんが、空いた椅子の方を見る。
「モロが嫌う椅子だ。あれが置かれると、いつも足が焼ける」
「僕も庭師に動かしてもらったことがあるよ。でも、次の日には戻ってる。人の休む方も、そこだから」
モロは、私が話している間も日陰にいた。
小さな椅子が端へ寄ると、目を閉じる。誰かを連れてこいとも、空の向こうへ行けとも言わない。
そもそも、人間の言葉を言わない。
十七時二十分、私は人間へ戻った。
皮を受け取って広げようとすると、モロが鼻を私の肩へ寄せた。初めての日と同じ場所。
肩へ寄る鼻を撫で、皮を膝へ戻しかける。
貸してくれたものを返すつもりで、端を差し出した。
モロは鼻で、それを私の方へ押す。
椅子のところへ一度目を向け、また目を閉じた。
私も、椅子をもう一つ端へ寄せた。
広がった日陰へ、モロの前足が入る。
もう、屋根を持ったり、町の人を呼んだりしなくてもよいのだろう。
彼女が欲しかったのは、たぶん、この小さな椅子のぶんだった。
お父様への手紙に、椅子を動かしたら借りられました、と書こう。立派な儀式を思い浮かべていたら、ずいぶん短い手紙になりそうだ。
代わりに、今日の午後に食べるものを、一つ返した。
酸っぱい杏子。
モロの目が開いて、今度はその実だけをきちんと受け取った。
殿下が、椅子を私の横へ置いた。
自分はもう一つを引き、日陰の狭いところへ座る。
「君が空へ行く前に、僕も椅子を動かしておくね」
「殿下の座るところまで、なくなってしまいます」
「うん。だから、こっちへ寄っていい?」
私は自分の椅子を少し横へずらした。
二つの肘が近くなる。
竜でいれば、大きな翼のぶんまで場所を空けてもらえる。人間でいれば、こうして少しだけ動けば、隣へ誰かを入れられた。
殿下の袖が、私の肘へ触れそうな距離。
見ないでおこうと思うほど、青い色が目へ入る。
大きな隣人はそんな私たちに構わず、庭の石へ顎を擦っていた。首の縁の鱗が、前よりも薄く浮いている。
キリさんが近づくと、頭を振って嫌がった。
「また、脱ぐ前の痒い時期だな。触られたくないらしい」
「新しい皮が、出るのですか」
「いずれ。いつになるかは、モロにしか分からない」
モロは石へ一度顎を当て、それから鼻を前足へ戻した。
私は干した皮の方へ目をやった。
借りられたら、それを何に使うかばかり考えていた。モロは次の皮を出すことより、今は頬を擦る石の方が気になるらしい。
殿下が、甘い杏子の最後の一つを私へ渡す。
「今日はどこも飛ばなかったね。それでも、お父上には会えたし」
「はい。また行きたいところも、できました」
日陰から出る前に、キリさんが明日の予定を言った。
距離を測る試演。
私だけでなく、ほかの竜の借り手も集まり、遠くまで飛べる順に並ぶという。
食べ終わった杏子の種を、私は手の中で転がした。
モロはまだ、涼しいところで眠っていた。




