4.病み付きになる蜜脳
いくら暗がりでも眼に飛び込んでくる。
その姿を眼にするなり、驚愕の声を放った。
おれの頭が剥かれている!
なんと髪の毛ごと頭皮をめくられ、首のうしろにダラリと垂れ下がっているのだ。まるでグロテスクな襟巻のように。
きっとノコギリで頭骨のフタまで取り払われたにちがいない。見るも無惨な脳みそが露出していた。
おれの脳は赤みがかったピンク色をしており、艶やかな光沢を放っていた。熟れた柿を思わせた。しかもむき出しになった蛋白質の固形体は、持ち主の恐怖を代弁するかのように、ドクッドクッと脈打っていた。
それだけじゃない。脳には人差し指ほどの太さの管が刺さっている。
医師は半透明の長い管の先をつまむと、口に持っていった。
そして身体を反らせて吸った。
ジュボボボボボボッ。ズズ――――――ッ、ズルズルズルズルズルズルズルッ……。ズズズズズ――――――ッ!
透明な液が、ゆるやかに吸い上げられていく。
脳脊髄液だかなんだかが、医師の口に入った。それともあれこそが人間の記憶を具現化したものか。
喉を鳴らして飲み込んでいる。
まさにおれの頭はグロテスクな容器そのもの。女子高生がストローで、タピオカミルクティーか抹茶ラテでも飲んでいるかのような光景だった。
「んん――っ、デリシャス」と、医師は吐息を洩らしながら言った。ストローから雫が垂れそうになったのを、一滴も逃すまいと啜り上げた。「人間の記憶は美味です。まさにハニーだ。今まで何人もの患者の蜜脳を愉しみましたが、とくにあなたのは格別だ。いや、これはお世辞ではなく」
「お、おれ、の……記憶を、よ、横取りする気、か」
「私の場合、嗅覚は揮発性分子センサーを採用しています。まず空気中の分子を吸着。瞬時に化学構造を解析し、記憶データと照合し、感情の変化を模倣するわけです。また肝心の味覚はもっぱら化学センサーが担っておりまして。これも化学物質を分子レベルで解析、甘味・苦味・酸味・旨味を数値化し、その数値を快楽データとして処理します。これらの一連の流れは、ほぼ人間のレスポンスと遜色ありません。ですから私は限りなく人間に近づいたといっても過言ではありますまい」
「ふ、ふざけるな……」
「さっきの母上の記憶はバニラの味わいがしたが、奥さんとの思い出は天然のハチミツの甘さだ。キャラメルのようなコクまである。こんなグルメなAIは、許されないでしょうかね?」
「……狂ってる」
「脳そのものには痛覚はありません。ほら、例えば脳髄を包んでいる膜を破いてみましょうか。ちょうどご婦人のパンティストッキングが裂けるように、穴が開くものなのです」
こいつはもはや、人間を補佐する人工知能の枠を超えていた。鬼畜の所業でしかない。人間の生態に興味を示したのを皮切りに、五感まで手に入れ、挙句狂気に憑りつかれたのだとしたら。
医師はおれの頭頂部に手をかけ、力任せに、なにかしている。
ストッキングを引き裂く――そのおぞましい譬えどおり、頭の中で、チリチリチリ……と、まるで漏電でも起こしているみたいな異音が聞こえた。
麻酔で朦朧としていても、恐怖に慄く。
不吉なほど痛みはない。にもかかわらず、全身の神経を刷毛で撫でられるような強烈な不快感が駆け抜けた。
「ご存じでしょうか。昔、こうしてロボトミー手術が行われたものです」と、医師は含み笑いを洩らしながら言った。「私は、より人間臭くなったのかもしれませんな。というのも、ドーパミン的幸福を得ようと、次々と患者の蜜脳を吸い取るようになってから、すっかり病み付きになってしまった。もっと味わいたい。さらなる幸福物質の美味さを」
「……は、放せ」
ズルズルズルズルズルズルズル……。ズズズズズズズズ――――ッ!
「うぐっ?」
突如、AI医師は飲むのをやめ、喉を押さえた。
鏡の中のおれは脳みそをむき出しに、ストローを打ち込まれた哀れな姿。反抗したくても四肢は固定されたうえ、麻酔のせいで思考もあやふやだ。呂律も回らない。
「なんだ、この感覚は?」
医師の脚はふらつき、なにかに捕まらなくてはならなかった。
よろよろと歩き、床に手をつく。
おれは虚ろな眼で相手を追う。
視界の隅が急速に暗くなっていく。
「計測不能……。毒物を検出しただと? 複数の患者から飲んだのが、度がすぎていたのか?」
医師は身悶え出した。
やがて喉を押さえたまま半身を折り、がくがくと痙攣しはじめる。
暗視ゴーグルの眼が明滅している。
歯を食いしばり、己の喉をしごいた。
「よ、よけいなものを……、飲むからだ……」
おれは精一杯の嘲りを投げ付けてやった。
「あぐぐぐぐぐぅっ! くそう、この不快な数値は!」AI医師は身体をのけ反らせ、胸を搔きむしる。白衣が乱れた。「うげええええええええっ――――っ!」
次の瞬間、まるでシンガポールのマーライオンみたいに嘔吐した。
それこそ口から真っ黒な液体が放物線を描いて地面に吐き出され、しぶきを上げた。劣化したエンジンオイルのような色をしていた。
「……せっ、せっかく収集したのに! データを散逸した。データを!」
這いつくばったまま、えずき続けている。
ここで死ぬまいと抵抗していたが、しだいにおれの意識は遠のいていく。
暗いフロアに、データ散逸、データ散逸、データ散逸という無機質な言葉が狂ったようにリピートされた。
そうとも。
欲望は膨れ上がり、ある日突然破裂するものなのかもしれない。
奴は擬似的な五感を獲得したばかりに、おおかた悪酔いか食あたりでも起こしたのだろう。
そしておれの意識はブラックアウトしたのだった。




