第9話 王族たちの晩餐
「ヒオリ!」
現実へ引き戻されたのは、ペケの声だった。
ヒオリははっと目を開ける。
夜の庭園。
星の湖。
そして、自分を支える灰銀の王子。
「……ぁ」
視界がまだ揺れている。
胸元の痛みが消えない。
星霊魔法の反動。
未来視が強制的に流れ込んだせいだ。
「呼吸を整えろ」
低い声。
静かなのに、不思議と安心する声だった。
ヒオリは浅く呼吸を繰り返す。
その間も、ペケは腕を離さなかった。
支える手が驚くほどしっかりしている。
「……ご、ごめんなさい」
ようやく声を絞り出す。
「謝る必要はない」
「でも……」
「立てるか」
ヒオリは小さく頷く。
ペケはゆっくり手を離した。
その瞬間、夜風が二人の間を通り抜ける。
急に距離ができた気がして、ヒオリは少しだけ寂しくなった。
自分でも意味が分からない感情だった。
「今のは何だ」
ペケが静かに問う。
ヒオリは息を止める。
言えるわけがない。
星霊魔法は国家機密。
未来視など、軽々しく話せるものではない。
だが。
この人には、隠しきれない気がした。
「……昔から、時々あるの」
ヒオリは俯いたまま答える。
「少し、身体が弱くて」
「嘘だな」
「……っ」
即答だった。
ヒオリが顔を上げる。
ペケの灰銀の瞳は、真っ直ぐこちらを見ていた。
「隠したいなら構わない」
「……」
「だが、お前のそれは普通じゃない」
静かな断言。
ヒオリの胸がざわつく。
「どうして分かるの?」
「魔力の流れが異常だ」
ペケは湖面へ視線を向けた。
「まるで、身体の内側から何かを削っているみたいだ」
その言葉に、ヒオリは言葉を失った。
そこまで見抜く人は初めてだった。
王国宮廷魔導師ですら、詳細は掴めていない。
なのにこの人は。
「……怖い人ね」
思わず漏れた言葉。
だがペケは否定しなかった。
「よく言われる」
少しだけ皮肉っぽい声。
ヒオリは小さく笑ってしまう。
するとペケが僅かに目を細めた。
「何だ」
「いえ……」
ヒオリは肩を竦める。
「あなたも、普通に笑うんだなって」
「……」
ペケは数秒黙った。
それから静かに空を見上げる。
「俺はそんなに無表情か?」
「かなり」
「アイリスにも言われる」
「アイリスさん、すごく楽しそうだったもの」
「いつもああだ」
呆れたような声音。
けれどどこか柔らかい。
ヒオリは少し驚いていた。
学院で見た灰銀の王子は、もっと冷たい人だと思っていた。
近寄り難くて、孤独で、完璧な人。
でも今は違う。
ちゃんと人間らしい。
静かで不器用なだけだ。
その時だった。
遠くから鐘の音が響く。
学院中央塔の夜鐘。
「……晩餐会」
ヒオリが小さく呟く。
大陸親善祭初日の正式晩餐会。
各国王族と代表貴族が集う、政治色の強い夜会だ。
「戻るか」
ペケが歩き出す。
ヒオリも隣へ並んだ。
少しだけ距離が近い。
けれど、不思議と嫌ではなかった。
庭園を抜ける小道。
月明かりが石畳を照らす。
しばらく沈黙が続いた後。
「……さっき」
ヒオリが口を開く。
「夢の中で、あなたを見たの」
ペケの足が止まる。
空気が変わった。
ヒオリは自分でも、なぜそんなことを言ったのか分からなかった。
けれど言わずにはいられなかった。
「夢?」
「崩れる星空の中で、あなたが立っていた」
ヒオリはゆっくり続ける。
「とても寂しそうだった」
沈黙。
夜風だけが吹く。
ペケは何も言わない。
だがその横顔が、ほんの少しだけ苦しそうに見えた。
「……変な話よね」
ヒオリは無理やり笑う。
「忘れて」
「いや」
ペケは静かに首を振った。
「忘れない」
その言葉に、胸が強く脈打つ。
星は忘れない。
夢の中で聞いた言葉が蘇る。
ヒオリが息を呑んだ、その時。
「ペケ殿下」
低い声が響いた。
二人が振り返る。
そこには、レオンハルト・フォン・クラウゼルが立っていた。
白銀の正装。
整った立ち姿。
夜会場の灯りを背にした姿は、まるで絵画のようだった。
だが、その青い瞳だけは静かに鋭い。
「レオンハルト様……」
ヒオリが小さく声を漏らす。
レオンハルトはまずヒオリを見た。
「探したよ」
「ごめんなさい、少し外の空気を……」
「体調は?」
「大丈夫」
その答えを聞いても、レオンハルトの表情は晴れない。
彼はヒオリの体調変化に敏感だった。
昔からずっと見てきたから。
そして次に。
レオンハルトの視線が、ペケへ向く。
「お初にお目にかかります。ヴァルディア帝国第二皇子殿下」
「……」
「レオンハルト・フォン・クラウゼルです」
完璧な礼。
敵意はない。
だが牽制はある。
ペケも静かに応じた。
「ペケ・ヴァルディアだ」
短い。
必要最低限。
けれど妙な圧があった。
夜風が二人の間を通り抜ける。
ヒオリは小さく息を呑む。
空気が張り詰めていた。
その時。
「おー、やっぱここか」
場違いなくらい軽い声が飛んできた。
レートだった。
後ろにはミリアもいる。
そして少し離れた場所には、腕を組んだアイリスの姿まで見えた。
「……勢揃いだな」
アイリスが面白そうに笑う。
ミリアはヒオリの顔を見るなり、小さく息を吐いた。
「また無理をされましたね」
「ご、ごめんなさい」
「後ほど詳しくお話を伺います」
優しい声。
なのに逃げ道がない。
ヒオリは思わず視線を逸らした。
するとその様子を見て、レートが吹き出す。
「相変わらずミリアには弱いな、王女様」
「レートは黙ってて」
「はいはい」
少しだけ空気が和らぐ。
だがその裏で。
ペケとレオンハルトは、静かに互いを見ていた。
帝国第二皇子。
王国最大貴族。
まだ敵ではない。
だが。
この瞬間、確かに運命の歯車が噛み合った。
誰もまだ知らない。
この出会いが。
恋愛だけでは終わらないことを。
やがて国を揺らし。
戦乱を呼び。
そして世界の真実へ繋がっていくことを。




