第8話 星降る庭園
祝祭の夜は、まだ終わらない。
中央広場では音楽と笑い声が溢れ続けていた。
だがヒオリは、人混みの熱気から少し離れたくなっていた。
「少し風に当たってくるわ」
そう告げると、ミリアがすぐに反応する。
「私も――」
「大丈夫。すぐ戻るから」
「ですが」
「お願い、ミリア」
ヒオリは困ったように笑った。
ミリアは数秒だけ迷い、静かに息を吐く。
「……五分です」
「そんなに短いの?」
「十分譲歩しています」
レートが後ろで吹き出した。
「王女様、完全に子供扱いだな」
「うるさいわ」
ヒオリは少し頬を膨らませながら、その場を離れる。
学院中央区の喧騒を抜けると、徐々に音が遠ざかっていった。
夜風が涼しい。
石畳の小道。
白い花壇。
月光に照らされた水路。
やがてヒオリは、一つの庭園へ辿り着いた。
星降る庭園。
学院内でも特に静かな場所として知られている。
中央には小さな湖。
その周囲を囲むように、蒼白い花々が咲いていた。
「綺麗……」
ヒオリは思わず足を止める。
夜空が湖面へ映り込み、まるで星の海のようだった。
風が吹くたび、水面の星が揺れる。
どこか夢の中に似ていた。
ヒオリは湖のほとりへ歩み寄る。
そして静かに目を閉じた。
胸の奥が少しだけ落ち着く。
星霊魔法を持つヒオリにとって、“静かな夜”は特別だった。
星の声が一番近くなる。
だから同時に、怖くもある。
「……また見えるのかしら」
ぽつりと呟く。
崩れる星空。
灰銀の王子。
世界の終わり。
夢の記憶が頭から離れない。
その時。
「それ以上、星を見つめるな」
突然、低い声が響いた。
ヒオリは驚いて振り返る。
そこにいたのは。
銀灰色の髪を持つ青年。
ペケ・ヴァルディアだった。
「……っ」
一瞬、呼吸が止まりそうになる。
どうしてここに。
けれどペケは平然としていた。
黒の正装姿のまま、静かに湖を見ている。
「驚かせた」
「い、いえ……」
ヒオリは慌てて姿勢を正した。
「ペケ殿下」
「ペケでいい」
「え?」
「その呼び方は堅い」
ヒオリは少し目を丸くした。
夢で見た印象より、ずっと静かな人だった。
冷たいわけではない。
ただ、人との距離が遠い。
そんな感じがする。
「……では、ペケ殿下」
「変わっていない」
「いきなりは難しいわ」
「そうか」
会話が終わる。
静寂。
普通なら気まずくなりそうな沈黙なのに、不思議と嫌ではなかった。
夜風が二人の間を抜ける。
湖面の星が揺れた。
「ここへはよく来るの?」
ヒオリが恐る恐る尋ねる。
ペケは少しだけ空を見上げた。
「静かだからな」
「……分かる気がする」
「お前もそうなのか」
「私は、星を見るのが好きなの」
そう答えた瞬間。
ペケの視線が、僅かに鋭くなった。
「星、か」
「……嫌い?」
「いや」
ペケは小さく首を振る。
「ただ、時々知りすぎる」
その言葉に、ヒオリの胸がざわついた。
知りすぎる。
まるで。
星霊魔法を知っているみたいな言い方だった。
「ペケ殿下は、星に詳しいの?」
「詳しくはない」
「でも、さっき……」
「お前」
ペケが突然言葉を遮る。
灰銀の瞳が真っ直ぐヒオリを捉えた。
「無理をするな」
「え……?」
「顔色が悪い」
ヒオリの鼓動が跳ねる。
まただ。
この人だけが気付く。
自分が隠している異変に。
「だ、大丈夫よ」
「大丈夫な顔ではない」
静かな声音。
けれど責める響きはない。
ただ本当に心配しているようだった。
ヒオリは戸惑う。
なぜ。
どうして。
初めて会ったばかりなのに。
「……昔から?」
不意に、ペケが尋ねた。
「え?」
「その力」
ヒオリの息が止まりそうになる。
星霊魔法。
王国最高機密。
それを、この人は。
「どうして……」
「分かる」
ペケは短く答えた。
「魔力が揺れている」
ヒオリは胸元を押さえた。
痣は隠れているはず。
けれど星霊魔法の魔力反応を、彼は感じ取っている。
「……怖い顔をするな」
ペケが静かに言う。
「誰にも話さない」
「でも……」
「秘密を抱えている顔くらい、分かる」
その言葉が、妙に胸へ刺さった。
秘密。
そうだ。
ヒオリはずっと隠している。
未来を見る力。
寿命を削る禁忌。
誰にも言えない恐怖。
王女として笑い続けるしかない孤独。
「……あなたは」
ヒオリは思わず呟いていた。
「どうしてそんなに、寂しそうなの?」
沈黙が落ちる。
風が止まった。
湖面の星が揺れる。
ペケは何も言わない。
ただ静かにヒオリを見つめている。
その瞳が、一瞬だけ揺れた。
ほんの僅か。
本当に僅かだけ。
痛みを思い出したように。
「……お前は」
低い声。
「人の心を読むのか」
「ち、違うわ」
ヒオリは慌てて首を振る。
「ただ……そう見えただけ」
ペケは小さく息を吐いた。
そして。
「初めて言われた」
ほんの少しだけ。
本当に少しだけ。
彼が笑った気がした。
その瞬間。
ヒオリの胸が強く脈打つ。
綺麗だと思った。
この人は、本当は冷たい人じゃない。
孤独なだけだ。
なぜか、そう思った。
その時だった。
不意に。
ヒオリの胸元が熱を持つ。
「っ……!」
星霊魔法の痣。
激しい痛み。
視界の奥で、星が砕ける。
ヒオリは思わずふらついた。
「ヒオリ!」
次の瞬間。
強く腕を引かれる。
気付けば、ヒオリはペケの腕の中へ倒れ込んでいた。
広い胸。
温かい体温。
驚くほど近い距離。
「……っ」
ヒオリの呼吸が止まる。
同時に。
視界の奥で、未来視が弾けた。
燃える世界。
黒い空。
そして。
血に染まった灰銀の王子。
『――来るな』
夢の中と同じ声。
だが今度は違う。
その声は。
泣きそうなほど優しかった。




