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♦第二章 大陸親善祭 第7話 祝祭の夜

 夜の帳が降りた王立アルカディア学院は、昼間とはまるで別世界だった。


 中央大広場を囲む白亜の建物群には無数の魔導灯が灯り、青金色の光が石畳を照らしている。


 噴水には水魔法による光魚が泳ぎ、空には小さな星灯が浮かんでいた。


 大陸親善祭。


 年に一度、各国の王族・貴族・代表学生たちが一堂に会する学院最大の祝祭。


 政治。


 外交。


 交流。


 そして――思惑。


 様々な感情が、この夜に集まる。


「……本当にすごい人ね」


 バルコニーから広場を見下ろしながら、ヒオリは小さく呟いた。


 色とりどりの正装。


 楽団の演奏。


 踊る学生たち。


 まるで王宮舞踏会だった。


「今年は例年以上です」


 ミリアがヒオリのドレスの裾を整える。


「帝国、海洋王国、森王国。主要国の王族が揃っていますから」


「……少し緊張するわ」


「今さらですか?」


「今さらよ」


 ヒオリは苦笑した。


 今夜の彼女は、学院制服ではなく、リュミエール王家の正装を纏っている。


 蒼白のドレス。


 胸元には星型の青水晶。


 淡い金髪は緩やかに編み込まれ、月光を受けて柔らかく輝いていた。


「綺麗だぞ、王女様」


 突然後ろから声が飛ぶ。


 レートだった。


 黒を基調とした騎士礼装姿。


 いつもより少しだけ貴族らしく見える。


「今日は誰を口説いてるの?」


「まだ誰も」


「“まだ”って言いましたね」


 ミリアが即座に反応する。


「いや待て、違う」


「何がです?」


「言葉の綾ってやつだ」


「その綾で今年何人泣かせました?」


「お前さぁ……」


 レートが頭を抱える。


 ヒオリは思わず笑ってしまった。


 だがその笑顔は、次の瞬間止まった。


 広場の中央。


 人々が自然に道を開ける。


 銀灰色の髪。


 黒を基調とした帝国正装。


 胸元には双翼の銀鷹。


 ペケ・ヴァルディアだった。


 昼間とは違う。


 夜の光を纏った彼は、どこか危ういほど美しかった。


 静かで。


 冷たくて。


 近づき難い。


 なのに視線を奪われる。


「うわ……」


 レートが小さく呟く。


「男の俺でも絵になると思うわ」


 その隣には、蒼いドレスを纏ったセレスティアの姿もある。


 二人は並ぶだけで完成されていた。


 帝国と海洋王国。


 未来の象徴。


 誰もがそう思うだろう。


 ヒオリは胸元をそっと押さえた。


 また少し、苦しい。


 その時。


「ヒオリ様」


 ミリアが静かに声を落とした。


「……ええ」


「呼吸を」


 言われて気付く。


 浅くなっていた。


 ヒオリは小さく息を整える。


 そんな彼女を、ミリアは少しだけ心配そうに見つめていた。


 ◇◇◇


 広場中央では、各国代表による挨拶が始まっていた。


 学院長ケン・アルディウス。


 ルミナス神聖国司祭。


 海洋王国外交官。


 帝国代表文官。


 次々と言葉が交わされる。


 だが多くの学生たちは、半分ほどしか聞いていない。


 皆、交流に忙しいのだ。


「ペケ殿下!」


「第二皇子殿下、お久しぶりです!」


「今夜お時間は――」


 帝国側には特に人が集まっていた。


 だがペケは必要最低限しか話さない。


 愛想もない。


 それなのに誰も離れない。


 むしろ近付きたがる。


「相変わらず大人気だな」


 アイリスが苦笑する。


「面倒だ」


「その顔でそれ言うから余計だろ」


 ペケは答えない。


 ただ静かにグラスへ口を付けた。


 その視線が、不意に止まる。


 広場反対側。


 白いドレスの少女。


 蒼い瞳。


 星詠み姫。


 ヒオリ・リュミエール。


「……」


 ペケは僅かに目を細めた。


 まただ。


 あの王女を見ると、妙に胸がざわつく。


 理由は分からない。


 危うい気配がする。


 壊れそうな何か。


 なのに目が離せない。


「おい」


 アイリスがにやりと笑った。


「また見てる」


「違う」


「はいはい」


 その時だった。


 突然、会場の空気が変わる。


 ざわ、と人波が揺れる。


 広場入口。


 そこに、一人の青年が現れていた。


 金髪。


 端正な顔立ち。


 白銀の正装。


 そして胸元に輝く、リュミエール王国公爵家の紋章。


「クラウゼル公爵家……」


「レオンハルト様だ」


「ヒオリ王女の婚約者……!」


 空気が変わる。


 レオンハルト・フォン・クラウゼル。


 リュミエール王国最大貴族クラウゼル家嫡男。


 次代宰相候補。


 そしてヒオリの正式な婚約者。


 彼は真っ直ぐヒオリの元へ歩いていく。


 周囲が自然に道を開けた。


「ヒオリ」


 穏やかな声。


 ヒオリは目を瞬かせる。


「レオンハルト様」


 レオンハルトは優しく微笑んだ。


「久しぶりだね」


「ええ、お忙しかったのでしょう?」


「少し北方領の視察へ行っていた」


 その言葉に、周囲がざわつく。


 北方。


 最近、魔物活性化が問題になっている地域だ。


「大丈夫だったの?」


「問題ない。だが……」


 レオンハルトの表情が少し曇る。


「確実に魔物の動きが変わってきている」


 その声音は真剣だった。


 政治家としてではなく。


 本気で国を案じる者の声。


 ヒオリは少しだけ安心する。


 この人は、やはり誠実だ。


 優しくて、有能で、国を愛している。


 婚約者として、何一つ間違っていない。


「今夜の君は、とても綺麗だ」


「……ありがとうございます」


 自然な言葉だった。


 作ったような笑顔ではない。


 だからこそヒオリは、胸が少し痛んだ。


 そんな二人を、遠くからペケが見ていた。


 無表情。


 けれどアイリスは気付く。


 ほんの僅か。


 本当に僅かだけ。


 彼の空気が冷えたことに。


「……へぇ」


 アイリスは面白そうに笑った。


「何だ」


「別に?」


「言いたいことがあるなら言え」


「いやぁ」


 アイリスは肩を竦める。


「嫉妬って、人間らしくていいなと思って」


 その瞬間。


 周囲の空気が凍った。


 アルトが静かに目を閉じる。


 セオドアが眼鏡を押し上げる。


 カイルが吹き出しそうになっていた。


「……していない」


 ペケは低く言った。


「はいはい」


「していない」


「二回言う時点で怪しいんだよなぁ」


 アイリスは完全に楽しんでいる。


 だがペケはそれ以上何も言わなかった。


 ただ静かに、遠くの蒼い王女を見つめていた。


 その頃。


 ヒオリは不意に視線を感じていた。


 振り返る。


 遠く。


 人混みの向こう。


 灰銀の瞳。


 また目が合う。


 胸が強く脈打つ。


 レオンハルトが何か話している。


 けれど、その声が少し遠かった。


 星がざわめく。


 胸元の痣が、熱を持つ。


 そしてヒオリは気付いてしまう。


 この夜が。


 この出会いが。


 決して、ただの学院生活では終わらないことに。

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