第6話 海より来た王女
午後の陽光が、学院中央庭園の湖面を淡く照らしていた。
王立アルカディア学院は、一つの都市に等しい広さを持つ。
中央区。
講義棟。
騎士演習場。
魔導研究塔。
巨大図書館。
そして王族・貴族専用の白亜寮。
それぞれが一つの街のように独立して存在していた。
「毎回思うけど、広すぎるわ……」
学院案内図を見ながら、ヒオリは小さくため息を吐いた。
隣ではミリアが涼しい顔をしている。
「ヒオリ様は方向感覚が弱いので」
「そこまでじゃないわ」
「昨年、王宮で三回迷われました」
「それは王宮が広いの」
「王宮育ちの方の台詞ではありません」
ヒオリはむっと頬を膨らませる。
すると後ろからレートが笑った。
「安心しろ王女様。迷ったらその辺の男捕まえれば、みんな親切に案内してくれる」
「あなた基準で話さないで」
「お前、学院でも絶対問題起こすよな」
「失礼だな」
「もう起こしてます」
ミリアが冷静に返す。
レートは肩を竦めた。
そんな三人の前を、多くの生徒たちが行き交っていた。
各国の制服。
異なる文化。
聞き慣れない言語。
王立アルカディア学院は、大陸そのものの縮図だ。
その時だった。
突然、遠くから歓声が上がる。
「来たぞ!」
「海洋王国の船団だ!」
ざわめきが広がる。
多くの生徒が学院南側の湖岸へ走り出した。
「船団?」
ヒオリが首を傾げる。
レートが口笛を吹いた。
「おー、本当に来たのか」
「知っているの?」
「マーレフィス海洋王国の外交船だろ。今年は親善祭に合わせて学院港へ直接入るって話だった」
王立アルカディア学院には、大湖へ繋がる巨大水路が存在する。
そこを通じて、海洋国家の大型船まで入港できるのだ。
「見に行きますか?」
ミリアの問いに、ヒオリは少し迷った。
だが周囲の熱気を見る限り、相当な騒ぎらしい。
「……少しだけ」
三人は人の流れに沿って歩き出す。
学院南湖岸。
巨大な白石の港には、すでに大勢の学生が集まっていた。
その視線の先。
湖上を、一隻の巨大船が進んでくる。
青銀の船体。
帆に描かれた海蛇の紋章。
船首には、水晶で作られた巨大な海獣像。
「すご……」
ヒオリは思わず息を呑んだ。
まるで海そのものが現れたようだった。
船の周囲では、水魔法で作られた魚群が泳いでいる。
空中へ跳ねる水飛沫が、陽光を受けて虹色に輝いた。
「マーレフィス海洋王国旗艦、“セイレーン”です」
ミリアが静かに説明する。
「海洋国家最大級の外交艦だとか」
「外交艦っていうより、もはや城じゃない?」
「実際、海上要塞としても機能します」
レートが苦笑した。
「海の連中は昔から金持ちだからな」
やがて巨大船が接岸する。
水兵たちが整列し、青い制服を纏った騎士たちが道を作った。
その中心から、一人の少女がゆっくり姿を現す。
深い蒼髪。
白い肌。
静かな青い瞳。
潮風に揺れる長髪は、まるで夜の海そのものだった。
「……蒼海の王女」
誰かが呟く。
マーレフィス海洋王国第一王女。
セレスティア・マーレフィス。
彼女は堂々とした足取りで港へ降り立つ。
気品。
知性。
そして王族として完成された空気。
周囲が自然と静まる。
その姿は、ヒオリともアステリアとも違う美しさを持っていた。
海のように静かで、深い。
「すごい人……」
ヒオリは思わず見惚れていた。
セレスティアは周囲へ優雅に会釈する。
その仕草一つですら洗練されていた。
すると。
不意に、セレスティアの視線が動く。
真っ直ぐ、ある人物へ向いた。
ヒオリもつられてそちらを見る。
人混みの向こう。
静かに立っていたのは、ペケだった。
帝国側近たちと共に、少し離れた場所から港を見ている。
灰銀の王子。
蒼海の王女。
周囲の空気がまた変わった。
「婚約者同士か……」
「絵になるな」
「さすが帝国と海洋王国……」
小さな囁きが広がる。
ヒオリの胸が、ちくりと痛んだ。
理由は分からない。
いや、本当は分かっている。
ペケには婚約者がいる。
海洋王国第一王女。
誰もが認める、美しく聡明な王女。
それが当然なのだ。
帝国第二皇子なのだから。
そう思うのに。
胸の奥が妙に苦しかった。
その時。
セレスティアがゆっくり歩き出す。
周囲が道を開ける。
そして彼女は、ペケの前で静かに立ち止まった。
「お久しぶりです、ペケ殿下」
柔らかな声。
けれど隙がない。
ペケもまた静かに応じる。
「久しいな、セレスティア」
短い。
だが冷たいわけではなかった。
それは互いを理解している者同士の距離感。
「航海は順調だったか」
「ええ。ですが学院港へ入るのは初めてでしたので、少し緊張しました」
「お前が緊張するとは思えない」
「失礼ですね」
セレスティアが小さく笑う。
その自然なやり取りに、周囲がどよめいた。
「本当に仲良いんだな……」
「お似合いすぎる……」
ヒオリは視線を落とした。
自分でも分からない感情が胸に溜まっていく。
その時。
セレスティアの青い瞳が、不意にこちらを向いた。
ヒオリは驚く。
目が合う。
セレスティアは一瞬だけ目を細め――。
そして優雅に微笑んだ。
敵意はない。
むしろ穏やかだった。
だがその瞳は、ヒオリをしっかり見ていた。
王族として。
一人の女性として。
まるで何かを測るように。
「……」
ヒオリの鼓動が速くなる。
すると隣で、ミリアが小さく息を吐いた。
「やはり鋭い方ですね」
「え?」
「いえ」
ミリアはそれ以上言わない。
ただ静かにセレスティアを見つめていた。
その頃。
ペケは、ほんの僅かに眉を寄せていた。
セレスティアの視線の先。
そこにいる蒼い瞳の王女へ。
ペケは小さく息を吐く。
「……面倒だな」
「何が?」
隣でアイリスが笑う。
ペケは答えない。
ただ静かに、ヒオリから視線を逸らした。
けれどその瞬間。
ヒオリもまた、彼から目を離せなかった。




