第5話 眠り花のエルフ
入学式が終わった頃には、空はすっかり昼の青に染まっていた。
王立アルカディア学院中央区。
巨大な噴水広場には、新入生や在校生たちが溢れている。
各国の言葉。
笑い声。
魔導端末を操作する音。
遠くでは、騎士科の模擬戦訓練の金属音まで響いていた。
まるで小さな国家だ、とヒオリは思う。
「ヒオリ様、お疲れではありませんか?」
ミリアがそっと問いかける。
ヒオリは微笑んで首を振った。
「大丈夫よ」
本当は少し疲れていた。
星霊魔法の反動もある。
それに何より、ペケと視線が交わるたびに胸が落ち着かなかった。
「おい、王女様」
レートが肩越しに振り返る。
「寮まで送る前に、少し寄り道していいか?」
「寄り道?」
「購買。顔馴染みの侍女がいる」
ミリアの目が細くなった。
「初日からですか」
「挨拶は大事だろ?」
「女性関係以外でその言葉を使ってください」
「辛辣すぎない?」
ヒオリは思わず笑ってしまう。
やはりこの二人がいると、少し気が楽だった。
その時。
ざわ、と広場の空気が揺れた。
人の流れが自然に割れる。
喧騒が、ほんの少し静まる。
「……?」
ヒオリが顔を上げる。
そこにいたのは、一人の少女だった。
長い銀髪。
白磁のような肌。
そして、淡く光る翡翠色の瞳。
耳元から覗く長い耳が、彼女が人間ではないことを示している。
エルフ。
シルヴァステラ森王国の民。
だが。
周囲の反応は、ただのエルフ留学生を見るものではなかった。
「あれって……」
「まさか」
「シルヴァステラ第一王女……?」
少女は静かに歩いてくる。
その姿はどこか現実離れしていた。
まるで森そのものが人の形を取ったような、静かな美しさ。
陽光を受けた銀髪が、青白く輝いている。
ヒオリは息を呑んだ。
綺麗だった。
けれどそれ以上に。
どこか寂しそうな空気を纏っていた。
「……眠り花の王女」
ミリアが小さく呟く。
「知ってるの?」
「ええ。シルヴァステラ森王国第一王女、アステリア・シルヴァステラ」
ミリアは静かに続けた。
「大陸でも有名な方です。百年以上生きる星録の民の王女。そして……」
「そして?」
「“千年を見つめる姫”とも呼ばれています」
その呼び名に、ヒオリは不思議な感覚を覚えた。
千年を見つめる姫。
まるで昔から、世界の終わりを知っているような名前だ。
アステリアはゆっくり広場を見渡していた。
その視線は静かだった。
まるで“誰か”を探しているようにも見える。
すると突然。
アステリアの視線が止まった。
真っ直ぐ、ヒオリを見る。
翡翠の瞳と蒼い瞳が交差する。
その瞬間。
ヒオリの胸元が熱を持った。
「っ……!」
星霊魔法の痣。
服の下に隠れているはずのそれが、脈打つように熱を放つ。
同時に。
アステリアの瞳が、ほんの僅かに揺れた。
「……星霊」
小さな呟き。
誰にも聞こえないほど小さかった。
けれどヒオリには、はっきり聞こえた。
「え……?」
アステリアが、一歩近づく。
周囲が息を呑む。
エルフ王女自ら人へ近づくこと自体、珍しいのだろう。
彼女はヒオリの前まで来ると、静かに頭を下げた。
「初めまして」
澄んだ声だった。
森の奥の泉のような、静かで透明な響き。
「ヒオリ・リュミエール王女殿下」
「……は、はい」
ヒオリは慌てて姿勢を正す。
「初めまして。アステリア王女殿下」
「ふふ」
アステリアが小さく笑った。
その笑みは美しい。
けれど、なぜか泣きそうにも見えた。
「ようやく会えました」
「え……?」
ヒオリは目を瞬かせる。
ようやく?
まるで以前から知っていたような言い方だった。
「わたくし、ずっと貴女に興味がありました」
「私に……?」
「はい」
アステリアはヒオリを見つめる。
まるで星空を見るような目だった。
「貴女の瞳は、とても綺麗です」
「そ、そんな……」
突然の言葉にヒオリは戸惑う。
だがアステリアは本気だった。
彼女の視線には迷いがない。
「夜空の蒼ですね」
静かにそう言って、アステリアは少し目を細めた。
「懐かしい色です」
その瞬間。
ヒオリの胸が妙に締め付けられた。
懐かしい。
どうしてそんな言葉を使うのだろう。
まるで昔から知っているように。
「アステリア王女殿下」
ミリアが一歩前へ出る。
護るように、ヒオリの前へ。
アステリアは静かに視線を向けた。
「何でしょう」
「失礼ながら、ヒオリ様へあまり不用意に近づかれませんよう」
柔らかい声音。
だが侍女としての警戒は隠していない。
エルフ王女。
星録の民。
その存在が、王国にとって未知数だからだ。
アステリアは怒らなかった。
ただ、少しだけ寂しそうに笑う。
「ご安心ください」
「……」
「わたくしは、この方を傷つけません」
その言葉に、なぜかヒオリの胸がざわついた。
“傷つけない”。
普通なら当たり前の言葉。
なのに。
まるでアステリアが、“傷つく未来”を知っているように聞こえた。
その時だった。
「アステリア」
低い声が響く。
広場の空気がまた変わった。
ヒオリが振り返る。
そこにいたのは、ペケだった。
帝国側の制服。
灰銀の髪。
静かな瞳。
そしてその隣には、腕を組んだアイリスの姿。
「おー……」
レートが小さく呟く。
「学院の化け物が揃ったな」
アステリアは振り返り、静かに目を細めた。
「ペケ殿下」
「珍しいな。お前が自分から人に話しかけるとは」
「興味がありましたので」
アステリアはそう答える。
ペケの視線が、ヒオリへ向いた。
また目が合う。
その瞬間。
胸の奥が強く脈打った。
夢の中と同じ。
あの灰銀の瞳。
けれど今は。
ほんの少しだけ、柔らかく見えた。
「……」
ペケは何か言おうとして。
だが結局、何も言わなかった。
ただ静かにヒオリを見つめる。
そして。
「行くぞ、アステリア」
「はい」
アステリアは小さく頷いた。
去り際。
彼女はもう一度だけ、ヒオリへ微笑む。
「またお話しましょう、星詠み姫」
その言葉を残し、エルフ王女は歩き去っていく。
ペケもまた、静かに背を向けた。
けれど最後の最後で。
彼はほんの僅かにだけ、振り返った。
視線が交わる。
そして今度こそ、灰銀の王子は去っていった。
広場に残されたヒオリは、胸元を押さえる。
鼓動が速い。
星霊魔法の痣も熱い。
そして何より。
アステリアとペケ。
あの二人が現れた瞬間から。
まるで運命そのものが、静かに動き始めた気がした。




