第88話 帰る場所
《ルミナス・アーク》は、ゆっくり浮上を始めていた。
深海七〇〇〇。
海底都市アトラ・ネメシス。
そこから少しずつ、光ある海へ戻っていく。
◇◇◇
艦内医務室。
「……うぅ」
ヒオリが、小さく唸る。
「起きたか」
低い声。
隣を見る。
ペケだった。
「ぺけ……?」
「三時間寝てた」
「えっ!?」
ヒオリが慌てて起き上がろうとする。
だが。
「いたっ」
全身が重い。
星霊魔力を使いすぎた反動だ。
「無理するな」
ペケが静かに水を差し出す。
「ありがとう……」
ヒオリがコップを受け取る。
その時だった。
「お、起きた」
アイリス達が医務室へ入ってくる。
「ヒオリ様大丈夫!?」
「心配したんだぞ」
「三回くらい星霊暴走しかけてたからな」
「そんなに!?」
ヒオリが青ざめる。
すると。
後ろからレートが笑う。
「まぁ殿下がずっと抑えてたけど」
その瞬間。
ヒオリが固まる。
「……ずっと?」
「寝るまでずっと横居たぞ」
「レート」
ペケの声が低くなる。
「はいはい」
レートが肩を竦める。
だが。
アイリスはニヤニヤしていた。
「しかもヒオリ様が寝ぼけて――」
「アイリス」
今度はヒオリが止めた。
顔が真っ赤だった。
「……何言ったの」
「聞かない方が幸せ」
「余計気になる!!」
◇◇◇
その頃。
艦後方甲板。
リツは、一人海を見ていた。
静かな海。
朝焼け。
だが。
その表情は少し複雑だった。
「……昔の俺、か」
自分でも、まだ整理がついていない。
海底少女――ルナ。
あの記憶。
歌。
全部が曖昧だ。
その時だった。
「ここに居たんですね」
セレスティアが現れる。
海風で、長い髪が揺れていた。
「……何だ」
「お礼を」
セレスティアが静かに頭を下げる。
「あなたが居なければ、深海門は閉じられませんでした」
「……俺だけじゃねぇよ」
リツが苦笑する。
「ヒオリちゃん達居なかったら普通に終わってた」
「それでも、です」
海青の瞳が静かに細まる。
「“最後の歌い手”」
その呼び名に。
リツが少しだけ眉を寄せた。
「その名前やめろ」
「では、何と呼びましょう?」
「普通にリツでいい」
即答だった。
セレスティアが、少しだけ笑う。
「分かりました、リツさん」
その時。
遠い海面で、海霊光がふわりと跳ねた。
まるで。
誰かが笑ったみたいに。
◇◇◇
一方その頃――。
ヴァルディア帝国。
地下封印区画。
暗闇。
静寂。
その最奥で。
一つの巨大水晶が、“完全に砕けた”。
パキン――。
そして。
闇の中で、誰かが小さく笑う。
『……見つかったか』
黄金の瞳が、ゆっくり開いた。
◇◇◇
同時刻。
医務室。
「そういえばルナちゃんは?」
ヒオリが周囲を見る。
すると。
少しだけ空気が止まった。
「……え?」
ヒオリが不安そうに瞬く。
その時だった。
コンコン。
扉がノックされる。
「入っていい?」
小さな声。
ヒオリが振り返る。
「ルナ!」
海底少女――ルナだった。
白いワンピース姿。
まだ少し不安そうだ。
だが。
ちゃんと“ここ”に居る。
「……来てくれたんだ」
ヒオリが嬉しそうに笑う。
その瞬間。
ルナの瞳が、少しだけ潤んだ。
『……うん』
その返事は。
何百年も孤独だった少女の、“初めての帰る場所”みたいだった。




