第83話 母が目覚める時
深海最奥。
“白い腕”が、ゆっくり姿を現す。
「っ……」
ヒオリは息を呑んだ。
巨大。
神々しい。
そして。
あまりにも悲しい。
白い腕表面には、無数の“星痕”が刻まれていた。
それはまるで。
歴代の星霊達が、無理やり混ざり合っているみたいだった。
『駄目……』
海底少女が震える。
『“母”は、優しすぎるから』
その瞬間。
《ネメア・アストラ》の歌が、さらに強くなる。
『苦しいなら、還っておいで』
『寂しいなら、眠りなさい』
『全部、終わらせてあげる』
優しい声。
暖かい声。
だからこそ。
絶望的だった。
◇◇◇
船員達が、再び海へ歩き出す。
「母様……」
「還らなきゃ……」
「眠りたい……」
「まずい!!」
セオドアが叫ぶ。
「精神侵食速度が急上昇してる!!」
すると。
ヒオリ自身も、膝をついた。
「っ……」
「ヒオリ!?」
ペケが支える。
だが。
ヒオリの蒼い瞳は揺れていた。
苦しい。
胸が痛い。
でも。
同時に、あの歌は“安心する”。
『帰っておいで』
『あなたは、ずっと頑張ったから』
その瞬間。
ヒオリの脳裏へ、歴代封星巫女達の記憶が流れ込む。
孤独。
痛み。
犠牲。
失われた人生。
――疲れた。
その感情が、一気に押し寄せる。
「ぁ……」
涙が零れる。
すると。
白い腕が、ゆっくりヒオリへ伸びた。
『大丈夫』
『もう、一人で戦わなくていい』
◇◇◇
その時だった。
「――ヒオリ」
低い声。
ペケだった。
灰銀の瞳が、真っ直ぐヒオリを見る。
「そっち行くな」
静かな声。
でも。
それは命令じゃない。
“引き止める声”だった。
「ぺけ……」
「帰ってくる場所なら、こっちにもある」
その瞬間。
ヒオリの視界が揺れる。
脳裏へ浮かぶ。
学院。
ミリア。
セレスティア。
リツ。
皆の笑顔。
そして。
自分を見つめる灰銀の瞳。
ヒオリの呼吸が、少し戻る。
「……っ」
すると。
《ネメア・アストラ》が、初めて僅かに沈黙した。
『……灰銀』
その声には。
怒りではなく、“困惑”が混ざっていた。
『どうして、拒絶するの?』
静寂。
ペケがゆっくり立つ。
灰銀魔力が、深海を裂くように広がった。
「拒絶してるわけじゃない」
低い声。
「お前の優しさは、本物なんだろう」
その瞬間。
海底少女が目を見開く。
だが。
ペケは続けた。
「でも」
灰銀の瞳が細まる。
「“終わらせる優しさ”だけが救いじゃない」
静寂。
深海そのものが、止まった気がした。
◇◇◇
一方その頃――。
深海より遥か下。
“門”のさらに奥。
そこには。
誰も知らない空間が広がっていた。
星空。
海。
無数の棺。
そして。
一人の青年が、静かに眠っている。
黒髪。
穏やかな顔。
胸元には、“灰銀の紋章”。
その瞬間。
青年の指先が、僅かに動いた。
『……また、歌が聞こえる』
小さな呟き。
その声は。
何故か、ペケによく似ていた。
◇◇◇
深海都市。
《ネメア・アストラ》の第二黄金眼が、ゆっくり細まる。
『……そう』
その声は。
少しだけ寂しそうだった。
『なら、あなた達は』
白い腕が、さらに深海から姿を現す。
その全貌が見え始める。
巨大な白い女性型存在。
星で編まれた髪。
海みたいな瞳。
そして。
胸元には、“無数の星霊核”。
ヒオリは、息を呑んだ。
その姿は。
どこか“泣いている母親”みたいだった。
そして。
《ネメア・アストラ》が、静かに問い掛ける。
『――どうして、まだ生きたいの?』




