第82話 星海母神
『やっと見つけた』
深海全域へ、その声が響く。
優しい声だった。
暖かい声だった。
だからこそ恐ろしかった。
「……っ」
ヒオリの胸が苦しくなる。
帰りたい。
眠りたい。
全部終わらせて、あの声へ抱きしめられたい。
そんな感情が、無理やり心へ流れ込んでくる。
「ヒオリ!!」
ペケの声。
その瞬間。
ヒオリは我に返った。
「ぁ……」
危なかった。
本当に、一瞬だけ意識が沈みかけた。
◇◇◇
だが。
深海側の“歌”は止まらない。
『帰っておいで』
『寂しくないように』
『もう苦しまなくていい』
船員達の顔が、再び虚ろになる。
「駄目だ……!」
セオドアが歯を食いしばる。
「精神干渉範囲が広すぎる!!」
すると。
海底少女が苦しそうに叫んだ。
『聞いちゃ駄目!!』
蒼い涙が零れる。
『あの人、優しすぎるの!!』
静寂。
ヒオリが目を見開く。
「……優しすぎる?」
『うん』
少女が震えながら頷く。
『だから、“全部還そう”とするの』
その言葉に。
ヒオリは、何故か嫌な予感がした。
◇◇◇
一方その頃――。
王立アルカディア学院。
学院長室。
老学院長エルグランは、静かに紅茶を飲んでいた。
すると。
机上の古代魔導通信具が、突然ノイズを発する。
ザザッ――。
学院長の目が細まる。
「……海か」
通信具向こう。
映ったのは、“巨大な黄金眼”。
その瞬間。
学院長室空気が凍った。
「これはまた」
珍しく、学院長の表情が消える。
すると。
部屋奥ソファで寝ていた猫が、突然毛を逆立てた。
「にゃぁぁっ!?」
「……お前がそこまで怯えるか」
学院長が低く呟く。
そして。
彼はゆっくり立ち上がった。
「まずいな」
窓の外を見る。
夜空。
その向こう。
遥か海側で、“星”が揺れていた。
「“母”まで起きたか」
その声だけ。
妙に重かった。
◇◇◇
深海都市。
《ネメア・アストラ》の歌が、さらに強くなる。
すると。
海底少女が苦しそうに胸を押さえた。
『っ……』
「!?」
ヒオリが駆け寄る。
少女の身体へ、再び黒い侵食が広がり始めていた。
「そんな……!」
『門が完全に閉じる前に』
少女が苦しそうに笑う。
『わたしが、“鍵”へ戻される』
静寂。
「戻される……?」
『うん』
蒼い瞳が揺れる。
『わたし、“人”じゃなくなるの』
その言葉に。
ヒオリの胸が痛む。
まただ。
また誰かが、“役割”へ変えられる。
すると。
ペケが静かに前へ出た。
「方法は」
低い声。
「助ける方法はあるのか」
海底少女が目を見開く。
『……え?』
「あるかと聞いてる」
即答だった。
迷いがない。
その瞬間。
少女の瞳が揺れる。
まるで。
そんなことを聞かれると思っていなかったみたいに。
『……無い、はずだった』
「なら“ある”んだな」
ペケが静かに言う。
灰銀の瞳が細まる。
「だったら探す」
その瞬間。
ヒオリが少しだけ笑った。
「うん」
セレスティアが、小さく息を吐く。
「……本当にこの人達は」
呆れたような声。
でも。
どこか嬉しそうだった。
◇◇◇
その時だった。
《ネメア・アストラ》の第二黄金眼が、ゆっくり開き切る。
そして。
深海最奥から、“白い腕”が姿を現した。
「っ……!」
ヒオリが息を呑む。
白い。
巨大な腕。
でも。
その表面には、“無数の星痕”が刻まれていた。
まるで。
何百、何千もの“星霊”が混ざっているみたいに。
その瞬間。
海底少女が、絶望した顔で呟く。
『駄目……』
『“母”が、本当に起きちゃう』




