第76話 深海へ届く歌
静寂。
深海都市アトラ・ネメシス全域から、“歌”が消える。
代わりに。
リツの声だけが、静かに響いていた。
「――……」
優しい旋律。
波へ溶けるような歌。
その瞬間。
海底神殿の黒い侵食が、一瞬だけ止まる。
「っ……!」
セレスティアが目を見開く。
「侵食率が低下してる……!?」
セオドアも水晶観測盤を見る。
「あり得ない!」
「ただの歌で深海侵食を抑えてるのか!?」
だが。
リツ本人が一番困惑していた。
「……いや、俺も意味分かってねぇぞ」
そう言いながらも歌は止めない。
すると。
海底少女が、小さく震えるように呟いた。
『……同じ』
「え?」
『あの人と、同じ歌』
その瞬間。
ヒオリの星痕へ、“知らない記憶”が流れ込む。
◇◇◇
遥か昔。
海底神殿。
一人の青年が歌っていた。
黒髪。
優しい声。
そして。
その隣には、幼い蒼髪の少女。
『ねぇ』
『その歌、好き』
『そうか?』
『うん』
少女が笑う。
だが。
その笑顔は、どこか寂しそうだった。
『……怖いの』
『門が?』
『うん』
青年は少し困ったように笑った。
そして。
少女の頭を優しく撫でる。
『なら歌ってやる』
『お前が眠れるまで』
その瞬間。
巨大石門が震えた。
黄金眼。
深海の災厄。
そして。
少女が泣きそうな顔で叫ぶ。
『逃げて!!』
◇◇◇
「っ――!!」
ヒオリが息を呑む。
視界が戻る。
深海都市。
リツの歌。
黒い侵食。
「今の……」
「また視たか」
ペケが低く言う。
ヒオリは苦しそうに頷く。
「昔の記憶みたいなの……」
その時。
海底少女が、初めて少しだけ笑った。
『思い出してくれてる』
「……え?」
『やっと』
その声は。
ずっと一人だった人の声だった。
◇◇◇
だが。
次の瞬間。
巨大石門が、大きく開き始める。
ゴゴゴゴゴ――!!
「っ!!」
海底都市全域が揺れる。
崩壊。
黒い霧。
そして。
門奥から、“巨大な腕”が完全に姿を現した。
異形だった。
黒い鱗。
深海みたいな闇。
無数の黄金眼。
「……何だあれ」
レートですら顔を強張らせる。
すると。
セレスティアが低く呟いた。
「深海災厄……《レヴィア=ネメシス》」
その名前が発せられた瞬間。
海そのものが震えた。
『星霊』
巨大存在が、ヒオリを見る。
『今度こそ還れ』
次の瞬間。
黒い津波みたいな魔力が放たれた。
「ヒオリ!!」
ペケが前へ出る。
灰銀魔力。
斬撃。
だが。
深海圧と混ざった災厄魔力は重すぎた。
轟!!
《ルミナス・アーク》全体が吹き飛ばされる。
「きゃぁっ!?」
ヒオリがふらつく。
その時だった。
海底少女が、叫ぶ。
『歌って!!』
全員が彼女を見る。
『深海封印は、“共鳴”でしか閉じられない!!』
「共鳴……?」
『星霊と灰銀だけじゃ足りない!』
蒼い瞳が、真っ直ぐリツを見る。
『あなたの歌が必要なの!!』
静寂。
リツが完全に固まる。
「……は?」
だが。
次の瞬間。
深海災厄《レヴィア=ネメシス》が、巨大な黄金眼を開いた。
その瞳が、“リツ”を見た瞬間。
初めて、明確な敵意を滲ませる。
『……その声』
深海全域が軋む。
『何故、お前がまだ生きている』
空気が凍った。
「……は?」
リツ本人だけが、何も分かっていなかった。




