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第72話 海が歌う夜

 巨大な蒼い瞳。


 深海側。


 それはほんの一瞬だけ、海面下へ姿を現した。


「っ……!」


 ヒオリが息を呑む。


 船より遥かに巨大。


 なのに。


 どこか悲しそうな瞳だった。


 次の瞬間。


 海面が閉じる。


 巨大な影も、深海へ消えていった。


「な、何だ今の……」


 レートが珍しく真顔になる。


 周囲海兵達も完全にざわついていた。


「深海生物……?」


「いや、魔力反応が異常すぎる!」


「観測記録にないぞ!」


 すると。


 セレスティアが低く呟いた。


「……海霊獣」


「え?」


「古代海洋神話に存在する、“門の番人”です」


 海青の瞳が、静かに海を見つめる。


「本来は深海最奥から出てこない存在」


「つまり」


 ペケが静かに口を開く。


「門が、本格的に開き始めてるのか」


 セレスティアは答えなかった。


 その沈黙が、逆に答えだった。


◇◇◇


 夜。


 《ルミナス・アーク》は、蒼海柱へ向けて航行を開始した。


 船体側面の海洋術式が、淡い蒼光を放っている。


「すごい……」


 ヒオリは甲板から海を見下ろす。


 夜の海。


 星みたいな海霊光。


 そして。


 波音。


 不思議と心が静かになる景色だった。


「眠くないのか」


 後ろから声。


 ペケだった。


「ちょっとだけ」


 ヒオリが小さく笑う。


「海、綺麗だから」


 すると。


 ペケも静かに海を見る。


「……ああ」


 短い返事。


 でも。


 彼も少しだけ、この景色を気に入っているようだった。


 その時だった。


 遠く後方甲板から、歌声が聞こえてくる。


「……リツさん?」


 静かな旋律。


 優しく。


 どこか切ない歌。


 船員達も自然と耳を傾けていた。


「……また歌ってる」


「頼まれたらしい」


「断れなかったんだ」


「押しに弱いからな」


 即答だった。


 ヒオリが少し笑う。


 だが。


 その瞬間。


 海面が、また淡く揺れた。


『――見つけた』


「っ!」


 ヒオリの星痕が熱を帯びる。


 同時に。


 海底側から、“歌い返す声”が響いた。


 船全体が静まり返る。


「……聞こえたか?」


 リツが歌を止める。


 誰も答えられない。


 だが。


 ヒオリだけは、はっきり聞こえていた。


『歌を返して』


『深海は、まだ眠れない』


 その瞬間。


 海面下へ、“無数の光”が現れた。


「……星?」


 違う。


 人だった。


 蒼い光を纏う、人影。


 少女達。


 まるで海の底から、船を見上げているみたいだった。


「なっ……!?」


 海兵達がざわめく。


「幽霊か!?」


「いや、魔力反応だ!!」


 すると。


 セレスティアが苦しそうに呟く。


「……海底歌姫達」


「達?」


「初代だけじゃないんです」


 海青の瞳が揺れる。


「深海の門を抑えるため、代々“歌姫”が沈められてきた」


 静寂。


 ヒオリの胸が痛む。


 それは。


 封星巫女と同じだった。


「……また」


 小さな呟き。


「また、一人にされてたんだ」


 その瞬間。


 海面下の少女達が、一斉にヒオリを見上げた。


 そして。


 微笑む。


 まるで。


 “やっと来た”みたいに。


 その時だった。


 船が大きく揺れる。


 轟ォン――!!


「っ!?」


 海面中央。


 巨大な蒼海柱が、さらに膨れ上がった。


 そして。


 海そのものが、“歌い始める”。


『――星を還して』


『――門を閉じて』


『――深海へ』


 無数の声。


 旋律。


 世界そのものが共鳴している。


 その瞬間。


 ヒオリの星痕が、今までで最も強く輝いた。


 同時に。


 海底最深部。


 巨大石門へ、“亀裂”が走る。


 そして。


 扉奥から、“黄金の眼”が静かに開いた。

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