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第66話 海王姫の微笑み

 ノルディア迎賓館、上階談話室。


 暖炉の火が静かに揺れている。


「……緊張する」


 ヒオリが小さく呟く。


「何故です?」


 ミリアが紅茶を注ぎながら首を傾げた。


「だって、海王姫様だよ?」


「第一王女ですからね」


「しかも綺麗だった……」


 ヒオリが思い出すように呟く。


 マレフィス海洋王国。


 大陸最大級海軍国家。


 その第一王女。


 セレスティア・マレフィス。


 まるで海そのものみたいな女性だった。


「……大人っぽかった」


「ヒオリ様も十分お綺麗ですよ」


「慰め?」


「事実です」


 即答だった。


 その時。


 部屋扉がノックされる。


「失礼します」


 聞こえた声に、ヒオリが固まった。


「……ぇ」


 扉が開く。


 そこに立っていたのは――セレスティア本人だった。


「急な訪問、申し訳ありません」


「い、いえ!」


 ヒオリが慌てて立ち上がる。


 すると。


 セレスティアが小さく微笑んだ。


「そんなに緊張なさらなくても大丈夫ですよ」


「は、はい……」


 全然大丈夫じゃなかった。


◇◇◇


「実は少し、お話してみたかったんです」


 紅茶を受け取りながら、セレスティアが静かに言う。


「私と?」


「はい」


 海青の瞳が優しく細まる。


「黒冠の話もありますし」


「それに」


 一瞬だけ。


 彼女の視線がヒオリの胸元へ向く。


 星痕。


 薄く残る蒼銀模様。


「……あなた自身にも興味があります」


 ヒオリが少しだけ息を呑む。


 その言葉に、妙な重みがあった。


 すると。


 ミリアが空気を読むように口を開いた。


「お二人とも、少し年齢が近いですものね」


「ええ」


 セレスティアが微笑む。


「ずっと妹が欲しかったんです」


「妹?」


「はい」


 その瞬間。


 ヒオリの肩から少しだけ力が抜けた。


 思っていたより、柔らかい人だ。


「……ペケ様も」


 セレスティアが小さく笑う。


「昔から女の子相手が不器用で」


「分かる気がします」


 即答だった。


 思わず二人で笑ってしまう。


「でも」


 セレスティアの声が少し静かになる。


「今回の黒冠で、変わりましたね」


「え?」


「以前のペケ様なら」


 海青の瞳が揺れる。


「誰かへあそこまで執着しませんでした」


 ヒオリの心臓が少し跳ねた。


「……執着?」


「ええ」


 セレスティアは自然に言う。


「ヒオリ様が倒れた時、世界が終わったような顔をしていましたよ」


「……」


 顔が熱い。


 ミリアが静かに紅茶を飲んでいる。


 完全に面白がっていた。


 その時だった。


 セレスティアがふと窓の外を見る。


 雪空。


 その向こう。


「……海が騒がしい」


「海?」


「最近、“歌”が聞こえるそうです」


 空気が少し変わる。


「歌?」


「はい」


 セレスティアの瞳が静かに細まる。


「深海側航路で、夜になると聞こえるらしいんです」


『星を還して』


『扉を開けて』


 ヒオリの背筋へ悪寒が走る。


「……それって」


「まだ詳細は不明です」


 だが。


 海王姫の表情は、少しだけ険しかった。


「ただ」


「古い海洋神話では、“深淵が目覚める前兆”と言われています」


 静寂。


 暖炉の音だけが響く。


 その時。


 談話室外の廊下から、騒がしい声が聞こえた。


「だから俺は歌わねぇって!」


「一曲だけ!!」


「リツ様お願いー!!」


「何で夜会終わった後まで追ってくんだよ!?」


 リツだった。


 完全に捕まっている。


 ヒオリが思わず吹き出す。


「……人気凄いですね」


「ふふ」


 セレスティアも小さく笑った。


「マレフィスにも、似た方がいました」


「え?」


「歌で人を惹き込む人は」


 海青の瞳が静かに揺れる。


「時々、“世界”にも愛されすぎるんです」


 その言葉だけ。


 何故か少し、不吉だった。


◇◇◇


 同時刻。


 遥か南海。


 巨大海溝最深部。


 誰も辿り着けない暗黒。


 そこへ。


 “歌声”が響いていた。


『――星を還して』


 巨大な黄金眼が、ゆっくり開く。


 そして。


 深海底へ沈む古代遺跡の扉が、僅かに軋んだ。

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