第60話 静かな熱
ノルディア迎賓館。
遠征帰還から二日。
ヒオリはようやく目を覚ました。
「……ん」
白い天井。
暖炉の音。
窓の外では、静かに雪が降っている。
「ここ……」
「起きましたか」
穏やかな声。
ミリアだった。
銀盆を持ちながら、安心したように微笑んでいる。
「ミリア……」
「丸一日眠っていたんですよ?」
「そんなに?」
「はい」
ミリアが小さく息を吐く。
「本当に心配しました」
その声音は穏やかだった。
だが。
長年一緒にいるヒオリには分かる。
かなり怒っている。
「……ごめんなさい」
「後でゆっくりお説教します」
「はい……」
即答だった。
その時。
部屋の扉がノックされる。
「入れ」
ミリアの声。
扉が開く。
そこにいたのは――ペケだった。
「……ぺけ」
灰銀の王子は、ヒオリを見るなり少しだけ肩の力を抜いた。
「起きたか」
「うん」
短いやり取り。
だが。
空気が少し柔らかい。
ミリアはそれを見て、小さく微笑む。
「では私はお茶を用意してきますね」
完全に空気を読んで出ていった。
扉が閉まる。
静寂。
暖炉の音だけが響く。
ヒオリは少しだけ困ったように笑った。
「……なんか、久しぶり」
「二日ぶりだ」
「ぺけはずっと起きてたの?」
「ああ」
「寝てないの?」
「少しは寝た」
嘘だ。
顔見れば分かる。
「……無茶したの、私だけじゃないでしょ」
「お前ほどじゃない」
「またそうやって」
ヒオリが小さく頬を膨らませる。
すると。
ペケが静かに椅子へ座った。
「体調は」
「魔力空っぽって感じ」
「当然だ」
即答。
「第二位階を越えかけた」
「……そんな凄かったの?」
すると。
ペケは少しだけ黙った。
「……あれを凄いで済ませるのは無理がある」
「え」
「お前、黒冠そのものを書き換えかけた」
「……え?」
「今、各国が騒いでる」
ヒオリの顔が固まる。
「……えぇ」
その瞬間。
ペケが少しだけ口元を緩めた。
「今更だな」
「笑わないでよ……」
ヒオリが毛布へ潜る。
すると。
ペケが静かに彼女を見る。
「……怖いか」
低い声。
ヒオリは少しだけ黙った。
怖い。
きっとこれから世界が変わる。
自分たちは、もう普通の学生じゃいられない。
でも。
「……ちょっとだけ」
素直に答える。
「けど」
蒼い瞳が彼を見る。
「ぺけがいるから、大丈夫な気がする」
静寂。
その瞬間。
ペケの視線が、ほんの少し逸れた。
「……そういうことを平然と言うな」
「え?」
「自覚ないのか」
「何が?」
本当に分かってない顔だった。
ペケは深く息を吐く。
「……いや、いい」
「気になるんだけど」
「気にするな」
その時だった。
廊下側から、騒がしい声が聞こえてきた。
「だから俺は別にいいって言ってんだろ!」
「駄目です」
「律さん、諦めてください」
「女性陣が待ってますので」
「何でだよ!?」
聞こえてきたのは、リツの声だった。
ヒオリが思わず吹き出す。
「……何してるの?」
ペケが少しだけ呆れた顔をする。
「昨日、北方兵たちの前で歌ったらしい」
「え?」
「それ以来、完全に囲まれてる」
ヒオリが目を瞬かせる。
その時。
廊下からまた声が聞こえた。
「リツ様もう一曲!!」
「いや無理だって!」
「照れてるの可愛い……」
「やめろ本当に!!」
完全に弄ばれていた。
ヒオリが肩を震わせる。
「ふふ……」
「……楽しそうだな」
「だってリツさん絶対顔赤いもん」
「赤いな」
即答だった。
その時。
ペケがふと窓の外を見る。
白い雪。
静かなノルディア。
だが。
灰銀の瞳は、もっと遠くを見ていた。
「……次が来る」
「え?」
「黒冠は終わった」
低い声。
「だが、“世界”はまだ始まったばかりだ」
ヒオリは静かに彼を見る。
そして。
小さく頷いた。
もう戻れない。
けれど。
一人じゃない。
それだけで、不思議と前を向ける気がした。




