♦第五章 黒冠遠征編 第37話 北へ
魔導列車が白銀世界を駆け抜ける。
王立アルカディア学院を出発して二日。
窓の外は、もう完全に雪景色だった。
吹雪。
氷山。
凍て付く森。
大陸北部特有の過酷な景色が続いている。
「寒っ……」
ヒオリが小さく肩を震わせた。
暖房魔法が掛かっている車内でも、北方の冷気は容赦がない。
「これ本当に人住めるの?」
「慣れれば快適だ」
向かい席のペケが平然と答える。
「帝国北部民強すぎるでしょ……」
ヒオリは毛布へ更に包まる。
その様子を見て、アイリスが吹き出した。
「うわ、完全に猫」
「笑わないでよぉ……!」
「いやだって普段しっかりしてる星詠み姫がこれだぞ?」
「寒いものは寒いの!」
その時。
隣から静かに何かが掛けられた。
「え?」
見ると、ペケの外套だった。
黒い軍用外套。
かなり暖かい。
「ぺけ?」
「使え」
「で、でも」
「俺は平気だ」
即答だった。
ヒオリは少しだけ困った顔をする。
「……ありがと」
「ん」
短い返事。
だが。
向かい側で見ていたレートたちが完全にニヤついていた。
「おい」
アイリスが肘でアルトを突く。
「見たか今の」
「見ました」
「自然すぎて怖い」
「殿下もう完全に無意識ですね」
セオドアまで頷いている。
「な、何よその反応!」
ヒオリが顔を赤くする。
すると。
「……?」
ペケだけ本当に意味が分かっていない顔をしていた。
「なんでお前そんな鈍いんだよ」
レートが呆れたように言う。
「ヒオリ様にだけ対応違いすぎるだろ」
「そうか?」
「そうだよ!!」
全員一致だった。
◇◇◇
その頃。
列車最後尾車両。
アステリアは静かに窓外を見つめていた。
銀髪へ北の月光が落ちる。
「……近い」
小さな呟き。
翡翠の瞳が細められる。
黒冠の奈落。
近付くほど、“向こう側”の気配が強くなっていた。
「眠っていたものが起き始めている」
「深刻そうだな」
低い声。
振り返ると、フィリップだった。
「ええ」
アステリアは静かに頷く。
「黒冠は、Sランクダンジョンの中でも特別です」
「“墓”ですから」
フィリップの表情が変わる。
「何の墓だ」
「古代災厄戦争時代」
アステリアは夜空を見る。
「“星喰い”を封じるため、最も多くの命が散った場所」
重い沈黙。
吹雪の音だけが響く。
「そして」
アステリアの声が低くなる。
「灰銀継承者が、最後に死んだ場所でもあります」
その瞬間。
フィリップの瞳が揺れた。
「……ペケ、か」
「恐らく」
アステリアは静かに目を閉じる。
「だから黒冠は、彼を呼んでいる」
◇◇◇
夜。
列車個室。
ヒオリは窓辺へ座っていた。
眠れなかった。
黒冠へ近付くたび、胸元の痣が熱を持つ。
『――近い』
また声。
低い。
冷たい。
『星霊』
ヒオリが小さく息を呑む。
「……誰なの」
返事はない。
ただ。
黒い気配だけが強くなる。
その時。
コンコン、と控えめなノック音。
「……ヒオリ」
低い声。
ペケだった。
「入って」
扉が開く。
黒髪……ではなく灰銀髪の王子が静かに入ってくる。
「眠れないのか」
「ぺけもでしょ」
「ああ」
珍しく素直だった。
すると。
ペケは少しだけ眉を寄せる。
「また声か」
「……うん」
ヒオリは胸元を押さえる。
「どんどん近くなってる感じがする」
ペケは静かに窓外を見る。
吹雪の向こう。
北。
黒冠の方向。
「なら尚更、離れるな」
「え?」
「黒冠では、俺の側を離れるな」
灰銀の瞳が真っ直ぐヒオリを見る。
「絶対だ」
その声音には、珍しく強い感情が滲んでいた。
「……怖いの?」
ヒオリが小さく聞く。
沈黙。
そして。
「ああ」
低い返答。
「嫌な予感がする」
ヒオリは少しだけ目を見開く。
この人が、ここまで警戒を口にするなんて珍しい。
「だから」
ペケは静かに彼女の手へ触れる。
自然に。
当たり前みたいに。
「俺から離れるな」
その瞬間。
ヒオリの胸が強く脈打つ。
怖い。
でも。
その手があるだけで、不思議と安心してしまう。
そして。
列車は静かに北へ進む。
世界最大級の災厄。
Sランクダンジョン“黒冠の奈落”へ向かって。




