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第35話 月下の約束

 夜風が静かに吹き抜ける。


 王立アルカディア学院女子寮。


 月明かりの下。


 バルコニーに立つ灰銀の王子は、相変わらず現実感がなかった。


「……ぺけ!?」


 ヒオリは慌てて窓を開ける。


「な、なんでここにいるの!?」


「来た」


「いや見れば分かるわよ!?」


 ペケは静かに彼女を見る。


 黒い外套。


 月光に照らされた灰銀の髪。


 その姿は、本当に夢みたいだった。


「眠れない顔してた」


「……なんで分かるの」


「分かる」


 即答だった。


 ヒオリの心臓がまたうるさくなる。


「……それで」


 彼女は小さく息を吐いた。


「付き合えって?」


「ああ」


 ペケが自然に手を差し出す。


「少し歩くぞ」


「……今から?」


「嫌か」


「そ、そうじゃないけど……!」


 女子寮。


 深夜。


 皇子と二人。


 状況がまずい。


 だが。


 ペケはそんなこと全く気にしていない顔だった。


「大丈夫」


「何が!?」


「誰にも見つからない」


「そういう問題じゃないのよ!」


 すると。


 ペケが少しだけ首を傾げる。


「……嫌ならやめる」


 その瞬間。


 ヒオリの胸が妙に苦しくなった。


「っ……」


 その顔はずるい。


 断れなくなる。


「……少しだけだからね」


 小さく答える。


 すると。


 ペケの瞳がほんの少しだけ柔らかくなった。


「ああ」


◇◇◇


 学院庭園。


 夜の星灯りだけが、石畳を淡く照らしていた。


 静かだった。


 昼間の喧騒が嘘みたいに。


 ヒオリはペケの隣を歩く。


 少しだけ距離が近い。


 でも。


 前より嫌じゃなかった。


「……緊張してる」


 不意にペケが言う。


「してない!」


「嘘だな」


「なんで分かるのよ!」


「歩幅が違う」


「そ、そんなとこ見てるの!?」


 ペケは少しだけ考えて。


「自然と見てる」


 駄目だ。


 本当に心臓に悪い。


 その時。


 夜空を流星が横切った。


 蒼い星。


 ヒオリは思わず立ち止まる。


「……綺麗」


「ああ」


 ペケも空を見上げる。


 そして。


 数秒後。


「怖いか」


 静かな声。


 ヒオリは少しだけ黙った。


 黒冠。


 星喰い。


 古代災厄。


 怖くないわけがない。


「……怖いよ」


 正直に答える。


「また誰か傷付くかもしれないし」


「私のせいで」


「違う」


 ペケが即座に否定した。


 その声には迷いがない。


「全部、災厄側が悪い」


「でも」


「お前は誰も傷付けてない」


 灰銀の瞳が真っ直ぐヒオリを見る。


「だから、自分を責めるな」


 胸が熱くなる。


 この人はいつもそうだ。


 自分のことはどうでもいいみたいに。


 他人ばかり守ろうとする。


「……ぺけ」


「なんだ」


「貴方は、怖くないの?」


 沈黙。


 夜風が吹く。


 そして。


「怖い」


 意外なほど、静かな声だった。


「失うのが」


 ヒオリが目を見開く。


「兄上も」


「側近たちも」


「……お前も」


 最後だけ。


 少し声が低かった。


 ヒオリの胸が強く脈打つ。


「だから」


 ペケは夜空を見る。


「強くならないといけない」


「全部守れるくらい」


 その背中が、少しだけ寂しそうに見えた。


 だから。


 ヒオリは自然に彼の袖を掴んでいた。


「……一人で全部やろうとしないで」


 ペケが振り返る。


 蒼い瞳と灰銀の瞳が重なる。


「私も一緒に戦うから」


「……危険だぞ」


「知ってる」


「死ぬかもしれない」


「それでも」


 ヒオリは小さく笑った。


「ぺけを一人にする方が嫌」


 静寂。


 風が止まる。


 その瞬間。


 ペケの瞳が、大きく揺れた。


 まるで。


 ずっと欲しかった言葉を、ようやく貰えたみたいに。


「……参ったな」


 掠れた声。


「何が?」


「お前、ずるい」


「えぇ……?」


 意味が分からない。


 だが。


 ペケはほんの少しだけ笑っていた。


 その時だった。


 ヒオリの胸元が微かに熱を持つ。


「っ……」


 星霊魔法。


 また反応。


 すると。


 北空で、黒い光が一瞬だけ脈動した。


 ヒオリの顔色が変わる。


「……黒冠」


 ペケの瞳も鋭くなる。


 そして。


 頭の奥へ、低い声が響いた。


『来い』


 今度は、ペケにも聞こえた。


『灰銀』


『星霊』


『待っている』


 その瞬間。


 二人は同時に北空を見上げる。


 Sランクダンジョン“黒冠の奈落”。


 そこから、確かに何かが呼んでいた。

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