第33話 出発前夜
王立アルカディア学院。
中央会議棟・極秘作戦室。
室内には各国代表と学院上層部が集まっていた。
重苦しい空気。
机上へ広げられたのは、ヴァルディア帝国北部地図。
その中心に刻まれているのは――Sランクダンジョン“黒冠の奈落”。
「状況を説明します」
セオドアが冷静に資料を広げた。
「三日前より黒冠最深部にて黒霧濃度が急上昇」
「現在、周辺魔物の凶暴化率は通常時の四倍」
「さらに封印領域内部より、“脈動反応”を確認しています」
「脈動?」
ヒオリが小さく呟く。
すると。
胸元の痣が微かに熱を持った。
「っ……」
ペケが即座に気付く。
「また反応したか」
「……うん」
嫌な感覚。
まるで何かが、自分を呼んでいるみたいだった。
「問題はここからです」
セオドアの表情が僅かに険しくなる。
「黒冠内部に存在する封印術式が、“星霊魔力への共鳴反応”を示しています」
空気が変わる。
学院長が静かに目を細めた。
「つまり」
「はい」
セオドアは頷く。
「ヒオリ様が近付けば、封印層が反応する可能性があります」
「危険すぎる」
レオンハルトが即座に言った。
「やはり同行は――」
「必要だ」
ペケが静かに遮る。
灰銀の瞳。
その声には一切迷いがなかった。
「ヒオリにしか感知できないなら、置いていく方が危険だ」
「ですが!」
「ならお前が代わりに封印を制御できるのか」
レオンハルトが言葉を詰まらせる。
苦しい沈黙。
分かっている。
理屈ではペケが正しい。
だが感情が追いつかない。
「……行きます」
ヒオリが静かに口を開いた。
全員の視線が集まる。
少し怖い。
でも。
逃げたくなかった。
「私、自分のこと知りたい」
星霊魔法。
古代災厄。
繰り返される夢。
全部。
向き合わなければ、また誰かが傷付く気がした。
「だから」
蒼い瞳が真っ直ぐ前を向く。
「黒冠へ行きます」
静寂。
そして。
最初に頷いたのは、ペケだった。
「ああ」
それだけ。
でも。
“お前ならそう言うと思っていた”みたいな声音だった。
◇◇◇
会議終了後。
学院中庭。
夜風が静かに木々を揺らしていた。
「……大丈夫か」
隣で、ペケが低く聞く。
ヒオリは少し笑った。
「最近そればっかり」
「心配だからな」
自然に返ってきた言葉。
ヒオリの心臓が跳ねる。
「ぺけってさ……」
「なんだ」
「最近、前より距離近くない?」
沈黙。
ペケは少しだけ視線を逸らした。
「……そうか?」
「そうよ」
「嫌だったか」
その一言に。
ヒオリは慌てて首を振る。
「ち、違う!」
「……ならいい」
また自然にそう言う。
ずるい。
本当にずるい。
その時だった。
風が吹く。
ヒオリの髪が揺れた。
そして。
彼女の首元に触れた痣を見て、ペケの瞳が僅かに細くなる。
「……痛むか」
「少しだけ」
「無理するな」
「だからペケも」
「俺は平気だ」
「嘘」
ヒオリはじっと彼を見る。
包帯。
隠しているけど、まだ傷は治りきっていない。
「……なんでそんな無茶するの」
小さな声。
ペケはしばらく答えなかった。
夜風だけが流れる。
やがて。
「怖いからだ」
掠れた声。
ヒオリが目を見開く。
「え……?」
「失うのが」
灰銀の瞳が、静かに揺れていた。
「昔から、守れなかったものばかりだった」
その声は、ひどく静かだった。
けれど。
だからこそ苦しかった。
「だから」
ペケはゆっくりヒオリを見る。
「お前だけは失いたくない」
胸が苦しくなる。
真っ直ぐすぎる言葉。
飾りも嘘もない。
その瞬間。
ヒオリは自然に彼の手へ触れていた。
「……大丈夫」
小さな声。
「私、ちゃんと隣にいるから」
沈黙。
夜空の星が静かに瞬く。
そして。
ペケはほんの少しだけ目を細めた。
まるで。
その言葉に救われたみたいに。
◇◇◇
同時刻。
ヴァルディア帝国北部。
黒冠の奈落・封印最深層。
暗闇。
深淵。
その中心で。
巨大な黄金の瞳が、ゆっくり開く。
『……近付いてくる』
低い声。
黒霧が蠢く。
『星霊』
『灰銀』
そして。
闇の奥で、無数の“何か”が目を覚まし始めていた。
『今度こそ』
世界の底から響く声。
『終わらせよう』
その瞬間。
黒冠の奈落全域が、大きく脈動した。




