第32話 黒冠の奈落
ヴァルディア帝国最北端。
永久凍土領域・ノルディア。
そこは、人類未踏の白銀世界だった。
吹雪。
氷山。
空を裂く極光。
そして。
大地の中央に存在する、巨大な“黒”。
Sランクダンジョン――“黒冠の奈落”。
まるで世界へ穿たれた穴のようだった。
底が見えない。
光すら呑み込む深淵。
周囲には帝国最精鋭の結界塔が幾重にも並び、常時数千の兵が警備している。
それほど危険な場所。
だが。
今、その最深部で。
何かが目を開けていた。
『……星』
闇の中。
巨大な影が、ゆっくり笑う。
『見つけた』
◇◇◇
一方。
王立アルカディア学院・星祭夜会。
「……北へ来い?」
ヒオリは小さく呟いた。
胸元が熱い。
星霊魔法が、まだ微かに脈打っている。
「ヒオリ様?」
ミリアがすぐ異変に気付いた。
「また声が?」
「……うん」
ヒオリは夜空を見上げる。
黒い流星。
あれが消えた瞬間から、嫌な感覚が止まらない。
「封印が泣いてるって……」
その瞬間。
ペケの空気が変わった。
「どこだ」
「え?」
「声の方向」
灰銀の瞳が鋭くなる。
ヒオリは戸惑いながら、北空を指差した。
「……あっち」
沈黙。
数秒後。
ペケが静かに呟く。
「黒冠の奈落か」
その場の空気が凍った。
「えっ……」
レオンハルトが目を見開く。
「帝国北方Sランクダンジョン……?」
「まさか」
学院長の顔色が変わる。
「黒冠が反応しているのか……!?」
その時だった。
学院中央広場へ、一人の騎士が駆け込んできた。
「学院長!!」
全員が振り返る。
帝国騎士。
しかも皇族直属伝令紋章付き。
「緊急報告です!」
騎士は息を切らしながら叫ぶ。
「黒冠の奈落にて、大規模黒霧発生!」
「最下層封印域から未確認反応を確認!!」
ざわめきが広場を覆う。
「馬鹿な……」
「早すぎる……!」
アステリアの翡翠の瞳が細められる。
「星喰いが、“鍵”の場所を特定し始めています」
その視線がヒオリへ向く。
ヒオリの背筋が寒くなる。
「……私?」
「ええ」
アステリアは静かに頷いた。
「星霊継承者は、封印そのもの」
「だから向こう側も、貴女へ引き寄せられる」
ヒオリは思わず指先を握る。
怖い。
自分のせいで世界が動いているみたいで。
すると。
不意に、温かい感触。
ペケだった。
自然にヒオリの手を握っている。
「……ぺけ」
「気にするな」
低い声。
「悪いのは災厄側だ」
即答だった。
その迷いのなさが、少しだけ救いになる。
だが。
「兄上」
ルシアンが静かに笑った。
「どうやら、逃げられなくなりましたね」
フィリップも苦々しく息を吐く。
「黒冠が動いた以上、帝国は必ず調査隊を出す」
「そして」
金眼が細められる。
「星霊継承者は同行対象になる」
ヒオリの顔色が変わる。
「えっ」
「当然だ」
学院長が重く言った。
「君だけが、“封印の異変”を直接感知できる」
「つまり黒冠攻略の鍵になる」
「そんな……」
Sランクダンジョン。
未踏破領域。
国家災厄級魔境。
そんな場所へ、自分が?
「危険です」
レオンハルトが即座に言う。
「ヒオリ様を行かせるべきではありません」
「だが放置もできん」
学院長は険しい顔をする。
「黒冠が完全活性化すれば、北方帝国領は崩壊する」
重い沈黙。
その時だった。
「……俺が行く」
ペケが静かに言った。
全員が彼を見る。
「殿下」
「黒冠は元々、帝国管理領域だ」
「なら俺が止める」
静かな声。
だが決定事項みたいだった。
すると。
「私も行く」
ヒオリが即座に言った。
「ヒオリ様!?」
ミリアが目を見開く。
だがヒオリは、真っ直ぐ前を向いていた。
怖い。
でも。
逃げちゃいけない気がした。
「……私にしか分からないなら」
蒼い瞳が揺れる。
「ちゃんと向き合わないと」
その瞬間。
ペケが静かに彼女を見る。
灰銀の瞳。
その奥に、僅かな感情が揺れた。
「……無茶するな」
「ぺけもね」
「俺は別だ」
「別じゃない」
ヒオリが少しだけ睨む。
「一人で抱え込むの禁止」
沈黙。
数秒後。
ペケは本当に小さく息を吐いた。
「……分かった」
その瞬間。
アイリスがニヤニヤ笑う。
「おー、完全に尻に敷かれ始めてる」
「違う」
「否定弱いな最近」
レートが吹き出す。
だが。
その空気の裏で。
アステリアだけは静かに夜空を見上げていた。
黒い流星。
北へ向かう災厄の兆し。
そして。
遥か昔と同じように並び始めた、“灰銀”と“星霊”。
「……運命が動き出した」
エルフ王女は小さく呟く。
第一部。
王立アルカディア学院編。
その平穏は、静かに終わりへ向かっていた。




