第2話 王立アルカディア学院
リュミエール王国王都、ルクレシア。
夜明けの鐘が鳴り終えた頃、王都中央へ続く白亜の大通りは、すでに多くの馬車で埋め尽くされていた。
貴族の紋章旗。
各国の使節団。
騎士団の護衛。
華やかな衣装を纏った若者たち。
その全てが、同じ場所を目指している。
――王立アルカディア学院。
大陸最高峰。
各国の王族、貴族、騎士、魔導師候補が集う中立学術機関。
そして未来の王や将軍、宰相たちが育つ場所。
巨大な白い城塞都市のような学院は、王都北部の丘陵地帯に広がっていた。
青い尖塔。
水晶を埋め込んだ時計塔。
湖へ架かる白い石橋。
中央には、星を象った巨大な紋章が掲げられている。
「何度見ても、本当に綺麗ね……」
馬車の窓から外を眺めながら、ヒオリは小さく呟いた。
朝日に照らされた学院は、まるで物語の中の城のようだった。
その隣で、ミリアが静かに微笑む。
「リュミエール建築と、アルカナ魔導公国の魔導技術が融合した建物ですから。大陸でも屈指の景観だそうですよ」
「ミリアは何でも知ってるのね」
「侍女ですので」
「便利な言葉ね、それ」
ヒオリが苦笑すると、ミリアは少しだけ肩を竦めた。
対面に座っていたレート・イルヴァが、窓の外を見ながら口笛を吹く。
「今年は随分人が多いな。親善祭前だからか?」
「今年はヴァルディア帝国とマーレフィス海洋王国の合同訪問があるそうです」
「へぇ。大物ばっかじゃねぇか」
レートは気楽に笑った。
軽薄そうな笑み。
しかし腰に佩いた細剣は、並の騎士では纏えない圧を放っている。
イルヴァ騎士伯家嫡男。
ヒオリ直属護衛騎士。
そして王国でも指折りの若手騎士。
女好きで軽い男として有名だが、戦場では別人になる。
それを知っているからこそ、ヒオリもミリアも特に咎めたりはしない。
「レート」
「ん?」
「学院で問題を起こさないでね」
「俺を何だと思ってるんだ?」
「問題製造機です」
即答したのはミリアだった。
「ひどくない?」
「昨年だけで王都の酒場を三軒出入り禁止になっています」
「誤解だ」
「女性関係です」
「誤解だって」
「今回は何日で問題を起こしますか?」
「お前ほんと容赦ねぇな……」
ヒオリは思わず吹き出した。
レートは不満そうに頬を掻きながらも、どこか楽しそうだった。
昔から変わらない。
ミリアとレートは幼い頃から顔見知りで、顔を合わせるたびにこんな調子だった。
けれど、それが少し安心する。
王女であるヒオリの周囲には、常に気を遣う空気がある。
だからこそ、この二人の軽いやり取りは、王宮の中で数少ない“普通”だった。
馬車が緩やかに速度を落とす。
巨大な学院門が見えてきた。
白銀の門柱には、各国の紋章旗が並んでいる。
リュミエール王国。
ヴァルディア帝国。
シルヴァステラ森王国。
マーレフィス海洋王国。
その他にも、大陸各地の国章が風に揺れていた。
まるでこの場所だけが、一つの小さな世界のようだった。
「今年もすごいな……」
レートが感心したように呟く。
門前には、すでに各国の馬車が並んでいる。
豪奢な金装飾の帝国馬車。
海獣を象った海洋王国の紋章。
森王国の銀葉旗。
獣人連邦の巨大な戦狼。
見慣れない民族衣装の者たちもいる。
ここでは国境すら曖昧になる。
王立アルカディア学院。
大陸で唯一、“全ての国が武器を置く場所”。
だからこそ価値がある。
「ヒオリ様」
ミリアが静かに声を落とした。
「……ええ」
ヒオリも表情を整える。
王女としての顔。
自然と背筋が伸びた。
馬車が停止する。
外から侍従の声が響いた。
「リュミエール王国第一王女、ヒオリ・リュミエール殿下、ご到着です」
扉が開く。
朝の風が流れ込んできた。
ヒオリはゆっくりと馬車を降りる。
白を基調とした学院制服。
胸元には、リュミエール王家を示す蒼星の徽章。
長い淡金色の髪が朝日に揺れた。
その瞬間。
周囲の空気がわずかに変わった。
「星詠み姫だ……」
「本当に来ていたのか」
「綺麗……」
小さなざわめきが広がる。
ヒオリは慣れていた。
民から愛される王女。
星詠み姫。
その呼び名が、自分自身ではなく“役割”を見られていることも知っている。
だからいつものように、穏やかな微笑みを浮かべようとして――。
その時だった。
不意に、空気が静まった。
ざわめきが止む。
周囲の視線が、一斉に学院門の方へ向く。
重厚な黒塗りの馬車がゆっくりと現れた。
車体には、銀の双翼を広げた鷹の紋章。
ヴァルディア帝国皇族旗。
護衛騎士たちが道を開く。
その圧だけで、周囲の生徒たちが自然と距離を取っていた。
「帝国皇族……」
「まさか」
「第二皇子殿下か……?」
ヒオリの胸が、小さく跳ねた。
昨日の夢。
灰銀の瞳。
壊れた世界。
脳裏に焼き付いた青年の姿。
馬車の扉が開く。
最初に降りたのは、長身の騎士だった。
鋼のような黒髪。
隙のない視線。
腰には大剣。
護衛騎士――アルト・アルヴェルト。
その後ろから、赤みを帯びた青髪の女性騎士が軽やかに降り立つ。
「相変わらず騒がしい歓迎だな」
気怠そうに笑った彼女が、周囲を見回す。
アイリス・ヴァンレイ。
帝国近衛騎士。
そして。
最後に。
ゆっくりと、一人の青年が馬車から降りた。
銀灰色の髪。
切れ長の瞳。
無駄のない立ち姿。
ただ歩くだけで、周囲の空気が張り詰める。
冷たい、というより。
静かだった。
雪が降る夜のような静けさ。
「……灰銀の王子」
誰かが呟いた。
ペケ・ヴァルディア。
ヴァルディア帝国第二皇子。
学院最強候補。
未来の皇帝候補。
そして――。
ヒオリが夢で見た青年。
その瞬間。
ペケが、ふと顔を上げた。
灰銀の瞳が、真っ直ぐヒオリを捉える。
時間が止まったような感覚。
周囲の音が遠くなる。
ほんの数秒。
ただ視線が交わっただけ。
それだけなのに、ヒオリの胸は強く締め付けられた。
夢の中と同じ目だった。
孤独で。
静かで。
そして、どこか悲しい目。
「……っ」
ヒオリは思わず息を呑んだ。
ペケは何も言わない。
ただ一瞬だけ目を細め――。
そのまま視線を逸らした。
「殿下?」
隣でアイリスが不思議そうに声をかける。
「……何でもない」
低く落ち着いた声。
その声を聞いた瞬間、ヒオリの胸の奥が微かに疼いた。
星が警告した相手。
近づいてはいけない人。
けれど。
なぜだろう。
どうしても、目を離せなかった。




