第18話 空を裂くもの
学院北部の空が裂ける。
黒い雷が奔り、空間そのものが悲鳴を上げるように歪んでいた。
「な、なんだあれ……!」
騎士科生徒の声が震える。
講義室の窓越し。
空に現れた“裂け目”は、まるで巨大な瞳のようだった。
黒。
深淵。
そして、その奥から溢れ出す圧倒的な魔力。
呼吸すら重い。
「空間断裂……?」
セオドアが青ざめる。
「あり得ない……学院結界の内側ですよ!?」
「結界が侵食されています」
アステリアの翡翠の瞳が鋭く細められる。
「黒霧が“穴”を作っている」
「穴?」
ヒオリが震える声で呟く。
アステリアは静かに空を見上げた。
「本来、この世界へ存在してはならないものが入り込むための道です」
その言葉に、全員の背筋が寒くなる。
すると次の瞬間。
――グォォォォォォォン!!
裂け目の奥から、巨大な咆哮が響いた。
空気が震える。
窓ガラスが砕け散る。
何人かの生徒が耳を押さえて崩れ落ちた。
「っ……!」
ヒオリも思わずふらつく。
だが。
すぐ隣から伸びた手が、彼女の肩を支えた。
ペケだった。
「耳を塞げ」
低い声。
ヒオリは慌てて従う。
その間にも、裂け目はさらに広がっていく。
そして。
ゆっくりと、“それ”が姿を現した。
巨大な爪。
黒い鱗。
空を覆うほどの翼。
「竜……?」
誰かが掠れた声を漏らす。
違う。
普通の竜ではない。
その存在は、あまりにも異質だった。
黒霧を纏い。
全身から禍々しい魔力を撒き散らしている。
まるで世界そのものを拒絶する存在。
「……魔竜級」
フィリップの声が低くなる。
「Sランク上位個体だ」
空気が凍った。
Sランク上位。
国家災害級。
一体で都市を滅ぼし得る怪物。
それが学院上空へ現れた。
「なんでこんなのが学院に……!」
レートが剣を抜く。
だがその声には僅かに焦りがあった。
無理もない。
相手は次元が違う。
「学院長!」
レオンハルトが叫ぶ。
「避難を優先すべきです!」
「当然だ」
ケン学院長は杖を叩きつけた。
瞬間、学院全域へ青白い結界が広がる。
だが。
魔竜が咆哮した瞬間。
結界表面へ黒い亀裂が走った。
「……馬鹿な」
学院長の顔色が変わる。
「結界を侵食しているだと……!?」
その時だった。
ヒオリの胸元が激しく熱を持つ。
「っ……あ……!」
視界が揺れる。
星霊魔法。
違う。
これは未来視ではない。
もっと直接的な、“警告”。
『――鍵を守れ』
頭の奥へ声が響く。
『星を継ぐ者よ』
「……誰……」
ヒオリが掠れた声を漏らす。
その瞬間。
魔竜の赤い瞳が、真っ直ぐヒオリを捉えた。
空気が止まる。
殺意。
圧倒的な悪意。
「ヒオリ!」
ペケが叫ぶ。
次の瞬間。
魔竜が空から急降下した。
轟音。
建物が揺れる。
一直線。
狙いは明らかにヒオリだった。
「チッ!」
フィリップが飛び出す。
黄金の魔力が爆発した。
「伏せろ!!」
王太子の剣が閃く。
だが。
魔竜の爪が、それすら弾き飛ばした。
「ぐっ……!」
フィリップが吹き飛ぶ。
「兄上!」
ルシアンが目を見開く。
誰も反応できない。
速すぎる。
その時だった。
銀閃。
空気を裂く一撃。
ペケが前へ出ていた。
灰銀の剣が、魔竜の爪を真正面から受け止める。
轟音。
床が砕ける。
だが。
ペケは一歩も引かなかった。
「……お前」
低い声。
灰銀の瞳が冷たく細められる。
「ヒオリに触れるな」
その瞬間。
空気が変わった。
今まで静かだった第二皇子から、圧倒的な殺気が溢れ出す。
講義室全員が息を呑んだ。
「な……」
レートが絶句する。
「これ、本当に学生か……?」
ペケの周囲で、灰銀色の魔力が渦を巻いていた。
重い。
冷たい。
まるで吹雪のような魔力。
そして。
ヒオリだけは気付いてしまった。
この光景を、自分は知っている。
夢の中。
崩れゆく世界で。
血に染まりながら立っていた灰銀の王子。
今の彼は、その時と同じ目をしていた。
「ペケ……」
思わず名前が零れる。
すると。
ほんの一瞬だけ。
彼の瞳が揺れた。
だが次の瞬間。
魔竜が咆哮し、黒い炎を吐き出した。
「散開!!」
学院長の怒声。
全員が動く。
フィリップが再び剣を構え。
アステリアの星光魔法が展開され。
セレスティアの水壁が炎を受け止める。
そして。
ペケだけが、一歩前へ出た。
灰銀の剣を構えながら。
まるで。
一人で全部を背負うみたいに。




