第17話 黒霧
――ゴォォォォン。
重い鐘の音が学院中へ響き渡る。
災厄警鐘。
王立アルカディア学院全域へ向けた緊急戦闘警報。
その音を聞いた瞬間、講義室の空気が完全に変わった。
「全員、即時戦闘態勢!」
学院長ケン・アルディウスの怒声が飛ぶ。
先程までの講義とは別人だった。
元Sランク探索者。
その圧が室内を支配する。
「教授陣は防衛結界を展開!」
「騎士科上位生は北部区画へ!」
「王族代表は――」
学院長の視線がヒオリへ向く。
一瞬だけ迷い。
だが次の瞬間。
「……いや、全員同行だ」
ざわめきが起きる。
「学院長!?」
レオンハルトが即座に反応する。
「危険です!」
「承知している」
学院長は低く返した。
「だが、この反応は異常だ」
中央魔法陣。
そこに映し出された学院地図。
北部区画全体が、黒く染まり始めている。
「黒霧……」
アステリアが小さく呟いた。
翡翠の瞳が鋭くなる。
「通常発生ではありません」
「分かるのか?」
フィリップが問う。
アステリアは静かに頷いた。
「これは“外側”から流れ込んでいます」
「外側?」
「Sランクダンジョン側です」
室内が凍る。
ダンジョン侵食。
本来ならあり得ない。
Sランクダンジョンは各国最上級結界で隔離されている。
それが学院付近まで影響を及ぼしている。
異常事態だった。
「移動するぞ」
ペケが短く告げる。
その瞬間にはもう、彼は腰の剣へ手をかけていた。
空気が変わる。
先程までの静かな皇子ではない。
戦場の人間の目だ。
ヒオリは息を呑む。
夢で見た灰銀の王子。
その姿と、少しだけ重なった。
「ヒオリ様」
ミリアが前へ出る。
「絶対に私から離れないでください」
「う、うん」
だがその時。
ペケが静かに口を開いた。
「……ミリア・ノルフェルト」
ミリアの目が細くなる。
「何でしょう」
「ヒオリは俺が守る」
一瞬。
空気が止まった。
ヒオリの心臓も止まりそうになる。
「……は?」
レートが素で声を漏らした。
アイリスは完全に吹き出している。
「お前、こんな状況で何言ってんの」
「合理判断だ」
ペケは真顔だった。
「彼女の魔力反応は危険域に近い。暴走時、最も制御できる位置に置くべきだ」
「それを“守る”って言い方するから誤解されるんだろ」
アイリスが腹を抱える。
だがミリアは笑っていなかった。
静かにペケを見る。
灰銀の瞳。
その奥に嘘がないことを確認するように。
「……本気ですか」
「ああ」
「命を懸けても?」
数秒の沈黙。
そして。
「当然だ」
迷いのない声。
ミリアの瞳が、ほんの少しだけ揺れた。
その時だった。
――ズンッ!!
地面が揺れる。
次の瞬間。
講義室外から悲鳴が響いた。
「きゃあああああ!!」
「魔物だ!!」
「結界が破られた!!」
全員が振り返る。
学院北側の窓。
その外。
黒い霧が空を覆っていた。
「……っ!」
ヒオリの呼吸が止まる。
夢で見た景色に似ている。
黒い空。
壊れ始める世界。
そして。
霧の中から、巨大な影が現れた。
「な……」
レートが絶句する。
四足。
漆黒の外殻。
赤く光る複眼。
まるで巨大な狼と甲虫を混ぜたような異形。
しかも一体ではない。
次々と霧から這い出てくる。
「学院内に魔物侵入……!?」
セオドアの顔色が変わる。
「こんなことあり得ません!」
「……いや」
アステリアが静かに呟いた。
「始まったのですね」
その声は、どこか悲しかった。
「古代災厄が」
次の瞬間。
魔物の一体が窓を突き破った。
轟音。
ガラスが弾け飛ぶ。
悲鳴。
だがその瞬間には。
銀閃が走っていた。
――斬。
一撃。
魔物の首が宙を舞う。
血飛沫。
そして静寂。
ペケだった。
片手剣を振り抜いた姿勢のまま、静かに立っている。
速すぎて、誰も反応できなかった。
「……化け物かよ」
レートが引き攣った声を漏らす。
だが終わりではない。
黒霧の中から、さらに魔物が現れる。
「数が多い!」
フィリップが即座に剣を抜く。
黄金の魔力が弾けた。
「戦闘開始だ!」
王太子の声が響く。
その瞬間。
室内全員の空気が変わった。
レオンハルトが白銀剣を抜く。
アイリスが笑いながら双剣を構える。
アルトは大剣を肩へ担ぎ。
アステリアの周囲には星光が舞い始める。
そして。
ヒオリの胸元が激しく脈打った。
星霊魔法。
まるで何かへ呼応するように。
すると突然。
頭の奥へ、“声”が響いた。
『――星を継ぐ者よ』
「……っ!?」
ヒオリが目を見開く。
誰の声?
違う。
これは。
夢の中で聞いた声と同じ。
『封印が、開く』
次の瞬間。
学院北部の空が裂けた。
黒い雷。
空間断裂。
そして。
その中心から、巨大な“何か”が姿を現そうとしていた。




