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第14話 誠実な婚約者

 リュミエール王国専用応接室。


 学院西棟上階に位置するその部屋は、柔らかな陽光に包まれていた。


 白い壁。


 蒼銀の装飾。


 窓辺には王国特有の星花が飾られている。


 静かな空間だった。


 その中央で、レオンハルト・フォン・クラウゼルは一通の書類へ目を通していた。


「北方領の被害報告です」


 隣に控える従者が静かに告げる。


 レオンハルトは目を細めた。


「……増えているな」


「はい。特に森林部での魔物出現率が」


 机上には複数の報告書。


 北方魔物活性化。


 未確認魔力波動。


 辺境村消失。


 どれも最近になって急増している案件だった。


「王都はまだ危機感が薄い」


 レオンハルトは静かに呟く。


「ですが、確実に何かが変わり始めています」


「……」


 従者は黙って頭を下げた。


 レオンハルトは小さく息を吐く。


 リュミエール王国。


 光と芸術の国。


 平和で豊かな王国。


 だがその裏では、静かに不穏が広がっている。


 だからこそ。


 自分が支えなければならない。


 王家を。


 国を。


 そして――。


「ヒオリ」


 自然とその名が零れた。


 蒼い瞳の王女。


 幼い頃から見てきた少女。


 優しくて。


 繊細で。


 誰より国を愛している人。


 レオンハルトは目を閉じる。


 昨夜の光景が脳裏に浮かぶ。


 星降る庭園。


 灰銀の王子。


 そして、その隣に立つヒオリ。


「……らしくないな」


 苦笑が漏れた。


 嫉妬。


 そんな感情、自分には無縁だと思っていた。


 政略婚約。


 王族。


 貴族。


 感情だけで結ばれる世界ではない。


 分かっている。


 分かっているはずなのに。


 昨夜。


 ペケと並ぶヒオリを見た瞬間。


 胸の奥が、少しだけ痛んだ。


「失礼します」


 突然、扉がノックされる。


「どうぞ」


 入ってきたのは、ミリアだった。


「ミリア」


「お時間よろしいでしょうか」


「もちろん」


 ミリアは静かに一礼する。


 王妃付き名門侍女家系、ノルフェルト家。


 その娘である彼女を、レオンハルトも昔から知っていた。


 そして。


 彼女がヒオリを誰より大切にしていることも。


「ヒオリのことだろう」


 レオンハルトが先に言う。


 ミリアは少しだけ目を伏せた。


「……はい」


「何かあったのか」


「正確には、“起こり始めています”」


 静かな声音。


 だが緊張が混じっている。


 レオンハルトは表情を引き締めた。


「詳しく聞こう」


 ミリアは数秒だけ迷った。


 そして。


「ペケ・ヴァルディア殿下についてです」


 部屋の空気が少し変わる。


 レオンハルトは無言で続きを促した。


「ヒオリ様は、あの方を気にされています」


 率直だった。


 誤魔化しはない。


 レオンハルトは静かに目を閉じる。


 やはり。


 気のせいではなかった。


「……そうか」


 その声は驚くほど穏やかだった。


 ミリアが少しだけ目を見開く。


「驚かれないのですね」


「多少はな」


 レオンハルトは苦笑した。


「だが昨夜を見れば分かる」


「……」


「ヒオリは昔から、孤独な人間を放っておけない」


 それは長所でもあり、弱さでもある。


 彼女は優しすぎる。


 だから、自分を削ってしまう。


「問題はそこではありません」


 ミリアの声が少し低くなる。


「ヒオリ様の星霊魔法が、ペケ殿下へ強く反応しています」


 レオンハルトの瞳が鋭くなる。


「……何?」


「昨夜、未来視に近い反応が起きました」


 沈黙。


 窓の外で風が揺れる。


 レオンハルトはゆっくり立ち上がった。


「それを、ヒオリは?」


「完全には理解していません」


「だろうな……」


 レオンハルトは小さく息を吐く。


 星霊魔法。


 未来を見る禁忌。


 そして。


 その力がペケへ反応している。


 偶然ではない。


「ミリア」


「はい」


「君はどう思う」


 ミリアは静かに答えた。


「運命だと思います」


 迷いのない声。


「ですが」


 その瞳が少しだけ揺れる。


「幸福な運命には、見えません」


 レオンハルトは何も言わなかった。


 彼も同じことを感じていたからだ。


 ペケ・ヴァルディア。


 あの男は危険だ。


 人柄ではない。


 存在そのものが。


 まるで大きな戦乱の中心にいるような男だった。


「……それでも」


 レオンハルトは窓の外を見る。


 学院中央塔。


 その向こうに広がる青空。


「ヒオリが望むなら、俺は止められないのかもしれないな」


「レオンハルト様」


「だが」


 その声が少しだけ低くなる。


「彼女を泣かせるなら、相手が帝国第二皇子でも容赦はしない」


 静かな言葉。


 けれど本気だった。


 ミリアは小さく頭を下げる。


「……やはり貴方は、優しい方ですね」


「優しくなんてない」


 レオンハルトは苦笑した。


「ただ、あの子に幸せでいてほしいだけだ」


 その頃。


 学院中央訓練場では。


 ペケ・ヴァルディアが、一人で剣を振っていた。


 銀閃。


 空気を裂く音。


 重い訓練剣とは思えない速度。


 周囲で見ていた騎士科生徒たちが息を呑む。


「速っ……」


「本当に人間か……?」


 だがペケの表情は変わらない。


 ただ無心で剣を振るう。


 その時。


「随分荒れてるな」


 アイリスが訓練場へ入ってきた。


 ペケは剣を止めない。


「……別に」


「嘘つけ」


 アイリスは苦笑する。


「分かりやすすぎるだろ」


 ペケは答えない。


 だが剣速だけが少し上がった。


 アイリスは肩を竦める。


「で?」


「……何がだ」


「星詠み姫」


 その瞬間。


 剣が止まる。


 静寂。


 そして。


「……放っておけない」


 低い声。


 アイリスは少し驚いた。


 ペケがここまで素直に言葉を漏らすのは珍しい。


「なんで?」


 数秒の沈黙。


 やがて。


「壊れそうだからだ」


 その答えに。


 アイリスは、少しだけ真剣な顔になった。


 ――ああ。


 これはもう、始まってる。


 そう理解してしまった。

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