第13話 蒼海の王女
マーレフィス海洋王国専用客室。
学院南棟上階に用意されたその部屋は、まるで海の中の宮殿のようだった。
蒼硝子の照明。
白珊瑚を模した柱。
壁際を流れる小さな水路には、水魔法で生み出された光魚が泳いでいる。
窓の外には学院湖。
夜明け前の淡い青が、水面へ静かに映っていた。
「……星詠み姫」
セレスティア・マーレフィスは、窓辺で小さくその名を呟いた。
昨夜の光景が頭から離れない。
蒼い瞳の王女。
困ったように笑う顔。
そして。
ペケが彼女を見る時の、あの静かな視線。
「殿下」
控えていた侍女が静かに頭を下げる。
「お茶をお持ちしました」
「ありがとう」
セレスティアはソファへ腰を下ろした。
湯気の立つ茶器。
海洋王国特有の青茶。
潮風に似た香りがする。
「……エレナ」
「はい」
「わたくし、そんなに分かりやすかったかしら」
侍女エレナは少し困ったように笑った。
「少々」
「そう」
セレスティアは小さく息を吐く。
王族として育った。
感情は隠すものだと教えられた。
海洋王国第一王女。
未来の王妃候補。
国を背負う者。
だから。
“個人の感情”など、表へ出すべきではない。
分かっている。
けれど。
「……やっぱり、少しだけ悔しいものなのね」
ぽつりと零れた本音。
エレナは何も言わなかった。
ただ静かに傍へ控えている。
セレスティアは苦笑した。
「変よね」
「いいえ」
「わたくし達は政略婚約者なのに」
ペケ・ヴァルディア。
ヴァルディア帝国第二皇子。
海洋王国と帝国を繋ぐための婚約。
幼い頃から知っている。
何度も顔を合わせてきた。
けれど。
彼は昔から変わらなかった。
静かで。
感情を見せなくて。
誰にも頼らない。
まるで世界から一歩距離を置いているような人。
「……でも」
セレスティアはカップを見つめる。
「昨日のペケ殿下は、少し違った」
ヒオリを見る時だけ。
あの灰銀の瞳が、僅かに揺れていた。
気にしている。
心配している。
あんなペケを、セレスティアは初めて見た。
「殿下」
エレナが静かに口を開く。
「お辛いですか?」
セレスティアは少し考えて。
それから、小さく首を振った。
「……分からないわ」
嫉妬。
寂しさ。
諦め。
色々な感情が混ざっている。
だが一番大きいのは。
「少し、羨ましかったのかもしれない」
「羨ましい?」
「ええ」
セレスティアは窓の外を見た。
「ヒオリ様は、ペケ殿下の“孤独”に気付いていた」
それが驚きだった。
誰も気付かない。
いや、気付けない。
灰銀の王子は完璧すぎるから。
静かで強くて、何も弱音を吐かない。
だから皆、“完成された第二皇子”しか見ない。
けれど。
ヒオリだけは違った。
あの蒼い瞳の王女は、ペケの奥にある孤独を見ていた。
「……わたくしは」
セレスティアは小さく笑う。
「ずっと隣にいたのに、見つけられなかったのかもしれないわね」
その時だった。
控えめなノック音が響く。
「殿下」
護衛騎士の声。
「ヴァルディア帝国第二皇子殿下がお見えです」
セレスティアの指先が僅かに止まった。
「……通して」
扉が開く。
入ってきたのは、黒い学院制服姿のペケだった。
相変わらず静かな空気。
けれど昨夜より少しだけ疲れて見える。
「朝からごめんなさい」
セレスティアが微笑む。
「いや」
ペケは短く答えた。
そして。
「昨夜の件だ」
セレスティアは少しだけ目を細める。
「ヒオリ様のこと?」
沈黙。
数秒後。
「……ああ」
ペケが頷いた。
その瞬間。
セレスティアは心の奥が少し痛んだ。
やはり。
彼は気にしている。
「珍しいですね」
「何がだ」
「ペケ殿下が、一人の女性をそこまで意識されるなんて」
ペケは黙る。
否定しない。
それが逆に答えだった。
「……放っておけないだけだ」
低い声。
静かな言葉。
だがセレスティアには分かる。
それはもう、“ただの興味”ではない。
「ヒオリ様は優しい方ですものね」
セレスティアは微笑んだ。
「きっと、ペケ殿下の孤独に気付いてしまったのでしょう」
ペケの瞳が僅かに揺れる。
「……孤独?」
「ええ」
セレスティアは穏やかに続ける。
「昔からそうでした」
「殿下は誰より人を守ろうとするのに、誰にも頼らない」
「だから皆、貴方を強い人だと思う」
「でも本当は」
そこでセレスティアは少しだけ寂しそうに笑った。
「ずっと、一人だったのでしょう?」
沈黙。
部屋に朝の静けさが落ちる。
ペケは何も言わなかった。
けれど。
その横顔が、ほんの少しだけ苦しそうに見えた。
「……セレスティア」
「はい」
「お前は」
ペケは静かに視線を落とす。
「時々、見えすぎる」
その言葉に。
セレスティアは、小さく笑った。
「婚約者ですから」
穏やかな声。
けれどその胸の奥では。
静かな波のように、切なさが広がっていた。




