第11話 第二皇子の噂
ルシアン・ヴァルディアが現れた瞬間。
晩餐会の空気は、目に見えないほど静かに変質していた。
笑顔はある。
音楽も止まらない。
だが誰もが本能で理解している。
今この場には、“危険な者たち”が揃っているのだと。
「兄上」
ルシアンは優雅な礼をした。
その動きには一切の隙がない。
貴族として完成されている。
だからこそ、逆に不気味だった。
「ルシアン」
フィリップが短く返す。
「お前が学院へ顔を出すとは珍しいな」
「親善祭ですので」
ルシアンは微笑む。
「帝国皇族として、多少の外交は必要でしょう?」
「お前が“多少”で済ませるとは思えんが」
「酷い言われようですね」
笑っている。
だが目は笑っていない。
ヒオリは小さく息を呑んだ。
怖い。
ルシアンはフィリップともペケとも違う。
フィリップは太陽のような威圧感。
ペケは静かな刃のような圧。
だがルシアンは――。
底が見えない。
何を考えているのか分からない怖さがあった。
「……気付かれてますね」
ミリアが小さく呟く。
「え?」
「視線です」
ヒオリははっとする。
ルシアンの金眼。
あれは完全にこちらを見ていた。
しかも。
胸元の痣が、まだ微かに熱い。
星霊魔法が警戒している。
「ヒオリ様」
ミリアの声音が少し硬くなる。
「今夜はあまりお一人にならないでください」
「……うん」
ヒオリは素直に頷いた。
その時だった。
「おい、見ろ」
「第二皇子殿下だ」
「また星詠み姫見てるぞ」
近くの貴族学生たちが、小声でざわつき始める。
ヒオリは思わず肩を震わせた。
視線の先。
ペケが静かにこちらを見ていた。
その表情は変わらない。
だが。
周囲の学生たちは、もう気付き始めていた。
灰銀の王子が、星詠み姫を気にしていることに。
「うわぁ……」
レートが遠い目をした。
「始まったな」
「何が?」
「学院名物。王族恋愛噂大会」
「やめて」
「もう遅い」
レートは肩を竦める。
「今頃たぶん女子寮じゃ大騒ぎだぞ」
ヒオリは頭を抱えたくなった。
すると。
「それは困りますね」
突然、柔らかな声が割って入る。
セレスティアだった。
海色のドレスを揺らしながら、穏やかな笑みを浮かべている。
「セレスティア殿下……」
ヒオリは慌てて姿勢を正した。
セレスティアは優雅に微笑む。
「そんなに緊張なさらないでください」
「ですが……」
「わたくし、貴女とお話してみたかったのです」
その言葉に、周囲がまたざわつく。
海洋王国第一王女。
しかもペケの婚約者。
そんな人物が自らヒオリへ話しかけに来たのだ。
「星詠み姫のお噂は、海でも有名ですよ」
「そ、そんな大したものでは……」
「いいえ」
セレスティアは静かに首を振る。
「未来を見る王女。国民に愛される姫君。とても素敵だと思います」
柔らかい声。
嫌味はない。
むしろ本当に穏やかだった。
だからこそヒオリは困惑する。
この人は、どうしてこんなに優しくできるのだろう。
「……貴女は、不思議な方ですね」
思わず口から零れていた。
セレスティアが小さく目を丸くする。
「そうでしょうか?」
「だって普通……」
そこでヒオリは口を閉じた。
“婚約者が他の女性を見ていたら嫌ではないのか”。
そんなこと聞けるはずがない。
だがセレスティアは察したらしい。
ふっと微笑んだ。
「王族ですから」
その言葉は静かだった。
けれど。
どこか少しだけ寂しかった。
「わたくしたちは、個人より国を優先します」
「……」
「感情だけで生きられれば、もっと簡単なのですが」
ヒオリの胸が少し痛む。
分かる。
その感覚は、痛いほど。
王女として生まれた以上。
好きだけでは生きられない。
「でも」
セレスティアは続けた。
「それでも人を好きになってしまう時は、あるのでしょうね」
その瞬間。
ヒオリの鼓動が止まりそうになった。
まるで。
見透かされたみたいだった。
その時だった。
「セレスティア」
低い声。
ペケだった。
彼は静かに二人へ近づいてくる。
周囲が自然と道を開けた。
「少し話がある」
「はい」
セレスティアが頷く。
そして去り際。
彼女はヒオリへ小さく微笑んだ。
「またお話しましょう、ヒオリ様」
「……はい」
二人が並んで歩いていく。
灰銀の王子と蒼海の王女。
誰が見てもお似合いだった。
ヒオリは胸元を押さえる。
苦しい。
どうしてこんな気持ちになるのだろう。
「王女様」
レートが横でぼそりと呟く。
「分かりやすすぎるぞ」
「……何が」
「恋してる顔」
ヒオリの顔が一瞬で赤くなる。
「ち、違っ……!」
「否定できてねぇ」
「レート」
ミリアの声が冷える。
「これ以上ヒオリ様を揶揄うなら、本当に口を縫います」
「怖ぇよ」
レートは苦笑した。
だがその目は少し真剣だった。
彼も気付いている。
これはただの学院恋愛では終わらない。
星詠み姫。
灰銀の王子。
蒼海の王女。
帝国皇族。
それぞれの立場と感情が、少しずつ絡まり始めている。
そして遠くから。
ルシアン・ヴァルディアは、その全てを静かに眺めていた。
「……なるほど」
金眼が細められる。
「面白くなってきましたね」
その笑みは。
まるで獲物を見つけた蛇のようだった。




