【8日 372年04月】桓温威圧! 謝安堂々?
【372年04月】
資治通鑑原文2272文字(195/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温-4/9
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
4/7-拓跋珪
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
【あらまし】
旧前燕領の統治者が王猛から苻融に替わりました。北方、西方軍略の充実が匂わされます。対して晋では、即位したそばから簡文帝が崩御、子の孝武帝が即位しました。ここで桓温と建康が一触即発となるのですが、これを謝安がぬるりといなし、収めてしまいます。なにこのひとこわい。
【できごと】
ひと通りの統治地ならしを終えたと判断したか、王猛が鄴から長安に帰還します。代わりに派遣されたのは苻堅の弟、苻融。苻堅が最も信頼した弟であり、つまり旧前燕統治の重要さ、難しさが裏打ちされた形です。それはそう。ここでいきなり東方に崩れられてしまうと、ここから北方や西方、そして大本命たる南方攻略など夢のまた夢ですものね。なお資治通鑑は、ここで改めて王猛と苻融がどれだけ優れた政治家であったのかをかなり熱量高く語ります。そりゃ司馬光さんも王猛に君子であってほしかったんだろうなあ、と納得できてしまうレベルで。ちなみに苻融は君子です。
対する晋です。黙って殺されてなるものかと庾希が決起しました、が、すぐさま鎮圧、滅ぼされました。これで桓温の立場が安定、というわけにも行きません。簡文帝、即位したそばからいきなり病を得てしまいます。簡文帝はもう結構な年でしたが、息子らしい息子は当時十歳であった司馬曜くらいしかいませんでした。このため司馬曜が太子につけられます。ただしこのとき簡文帝は桓温に禅譲する旨の詔勅を書いていたりもします。これは謝安らによって握りつぶされ、「桓温よ、諸葛亮や王導のように息子を補佐してくれ」と書き直させられ、崩御しました。そのまま司馬曜が即位します。孝武帝です。
この事態に我慢ならないのが桓温です。皇帝はおろか、宰相としての全権すら握れない。このためいちど任地に引きこもりました。そこに謝安が招聘の使者として遣わされます。考えるだけで胃が痛くなりそうな交渉の末、なんとか桓温は出仕。これは軍を率いたものであったため、百官はみな震え上がりましたが、その中で謝安一人が悠然と対応。「この一挙がお国の命運を分けるのだ」とうそぶいたあと、桓温に対しては「あなた様の振るまいに義がおありというのであれば堂々となさっておれば良い。何故軍をわざわざお引きいになる必要があるのです?」と言ってのけ、これには桓温も苦笑、軍を解散し、そこから謝安と歓談を交わしました。
……このエピソードで謝安の肝っ玉を讃えられることが多いですが、「事前に謝安が使者として出向いている」ことを知っているかどうかで、だいぶ印象が変わりますね。もちろん肝っ玉がヤバいこと、そのものに異論はありません。




