【9日 373年03月】桓温死亡! 蜀も陥落
【373年03月】
資治通鑑原文1702文字(250/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
3/4-慕容垂-5/3
3/8-桓温▲
3/15-苻堅-4/22
3/20-王猛-4/11
3/26-謝安-4/22
3/29-謝玄-4/25
4/7-拓跋珪-5/17
・準メインキャスト
2/14-拓跋什翼犍-4/13
3/17-姚萇-5/1
3/24-呂光-5/7
4/3-慕容徳-5/13
【あらまし】
桓温は晋に大きな嵐を巻き起こしつつも死亡。この事態は、むしろ晋国内の結束を「対前秦」という形で固めていきました。しかしながら、前秦の勢いは止まりません。漢中を陥落させ、仇池とも合わせて侵攻、陥落させます。
【できごと】
桓温、意をまっとうしきれないまま、死亡。このとき桓温のもとに九錫、すなわち人臣の枠を超えた、皇帝にも等しき大功臣に与えられる特権がもたらされる予定でしたが、この授与を謝安らが引き伸ばしたため、立ち消え。この処遇に桓温は不満を抱いていましたが、しかし一方で謝安らの手管も痛感していたため、桓沖らに対しては「間違えても謝安らと敵対することのないように」と言って聞かせました。この状況を謝安側も理解していたため、この連帯を受け入れ、桓温には逆臣ではなく大功臣として「宣武」、国威復興をその武で成し遂げた、位の極上の諡がもたらされました。また桓温の爵位については末子の桓玄が継承。これはまた後日の火種にこそなりますが、すぐ目の前に前秦というどでかい圧力があった以上、ここもまた極上の措置であった、と評価しうるでしょう。なおこの措置に桓温の弟や息子らに不満が起こっていますが、こうした勢力を桓沖がすべて追放という形で対応しています。
ここで中央では、三度褚太后が臨朝として駆り出されました。この方の政策周りにおける意思決定がどのようであったかを調べられると、東晋中期の性格をだいぶ伺えそうです。
さて、晋のこうした不安定は前秦にとってはまたとない好機です。仇池を獲得したことから、仇池、そして漢中を経由し、蜀に侵攻を開始しました。桓温死亡以前から荊州を守っていた桓豁も救援軍を送りこそしたのですが、どうしようもありませんでした。あっという間に蜀は陥落、こうして長江上流に毛当、楊安、そして姚萇という前秦屈指の名将が配され、ますます荊州守備の重要性が増します。ここで建康が桓氏を圧迫していたら、この結果は蜀だけでは済まなかったことでしょう。
ただ、この頃前秦では「慕容を飼い続けるのは危ういのでは?」という議論が巻き起こってもいました。ここで苻堅は「私は天下のみなを家族にしたいと願っていると言うのに、なぜそのようなことを言うのか!」と激怒しています。まあこのひと、宗族に案外恵まれてないですしね。自分を慕ってくれる異民族たちこそを拠り所としたくなっていたのかもしれません。とは言えこの方向性がどのような結果をもたらすかについては、もはや皆さんご存知、と言うしかありません。




