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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇四月】三六五年〇八月~三九四年〇三月

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92/126

【1日 365年08月】前秦不穏! 苻幼決起

【365年08月】

資治通鑑原文501文字(344/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 3/4-慕容垂-5/3

 3/8-桓温-4/9

 3/15-苻堅-4/22

 3/20-王猛-4/11

 3/26-謝安-4/22

 3/29-謝玄-4/25

・準メインキャスト

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 3/17-姚萇-5/1

 3/24-呂光-5/7


【あらまし】

 前秦では匈奴の反乱から苻生の弟の反乱が繋がったり、晋では司馬勲が蜀に攻め込んで鎮圧されたりと、またここから事態が大きく動きそうな気配が各所に見られます。そうした中前燕では慕容暐が加冠を迎えたのか(当時十六才)、慕容恪と慕容評が政権の返上及び隠棲を願い出、却下されています。



【できごと】


 苻堅はひとまず苻生の弟たちの処遇を終えると、北方で起こった匈奴の反乱の制圧に向かいます。この反乱はつつがなく鎮圧、ついでに鄧羌が劉衛辰を撃破、捕まえています。そのまま苻堅は北方各地を巡幸、慰撫に当たりました。こうした動きを受け、拓跋什翼犍は副官の燕鳳を苻堅のもとに派遣、多くの効能物を献上しました。


 するとここで長安に動きがあります。苻堅の不在をいいことに苻生の弟のひとり、苻幼が長安を襲撃したのです。この襲撃はあっさり鎮圧され、苻幼も斬られました。これは苻堅の不用心なのか、あるいは王猛による釣り出しであったのか。個人的には後者だったのではないかな、と思わずにおれません。


 ここで、ちらりと鮮卑禿髪部の話が出てきます。西晋が天下統一を成す直前に大規模反乱を起こした禿髪寿機能のいとこの子孫、禿髮椎斤が死亡、子の禿髮思復鞬が部民を継承、と言うものです。なお、この禿髮思復鞬の子が、淝水の戦いののちに南涼を立てることになる禿髪烏孤です。


 西方情勢、なかなかに不穏です。晋でも漢中を守っていた司馬勲が前年に起こっていた蜀の統治者交代を自立の機会と見なし、蜀を襲撃。諫めてくる部下を殺害の上成都城を包囲しました。この事態を受け、桓温は配下将のひとり、朱序を蜀に派遣。司馬勲を撃破して建康に送り込みます。桓温は司馬勲とその一派を斬首に処しました。なお、ここに出てきている朱序という人物も追うとめっちゃ面白いひとなので、是非ご記憶いただきたいところです。


 こうした中、前燕では慕容暐が親政するのに十分な年齢になったということで、これまで政権を預かっていた慕容恪と慕容評が共に慕容暐に政権を返上し、隠棲したいと願い出ましたが、これは認められませんでした。このあたりの手続きは鮮卑というよりも漢人的であり、当時の前燕朝廷にどれだけ漢人式統治手法が浸透していたかが伺えます。実際この当時、前燕高官には多く漢人の名が挙がり、その血統は北魏にも繋がっていたりするのです。

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