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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇三月】三三六年〇六月~三六五年〇七月

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91/126

【31日 364年08月】洛陽陥落! 哀帝も死ぬ

【364年08月】

資治通鑑原文1602文字(260/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 3/4-慕容垂-5/3

 3/8-桓温-4/9

 3/15-苻堅-4/22

 3/20-王猛-4/11

 3/26-謝安-4/22

 3/29-謝玄-4/25

・準メインキャスト

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 3/23-姚萇-5/1

 3/24-呂光-5/7


【あらまし】

 哀帝の死亡、洛陽の失陥。こうした事態の発生を尻目に、晋における桓温の影響力は高まっていく一方です。一方前秦では苻生の兄弟たちによる不穏な気配が立ち上り始めたり、ここに来て代の話が出始めたりと、大きく事態が動きそうな気配が満々です。



【できごと】


 桓温、建康に接近。荊州を上の弟の桓豁に、武昌を下の弟の桓沖に任せた上での接近です。軍を率いていますから、それこそ建康にとっては王敦の再来くらいの気持ちであったことでしょう。立場こそ国の枢要ですが、もうこの頃になるとほぼ敵対のような装いです。こうした状態に圧迫されたか、哀帝が死亡しました。この事態を受けで哀帝の弟、司馬奕が即位します。廃帝海西公と呼ばれます。引き続き諡号がオチと化していてしんどいことこの上ありません。


 一方、前燕がついに洛陽に本格攻勢をかけました。このときもともと洛陽を守っていた陳祐は逃げ出しており、あとには沈勁と言う武将が残されていました。彼は王敦の乱で王敦についていた武将、沈充の息子。父親が逆賊の汚名を着せられていたからこそ、自身が忠臣となって戦うことで汚名を晴らそうと誓っていました。武運拙く洛陽は陥落、自身も慕容恪のもとに囚われてしまうのですが、その気骨を慕容恪より惜しまれ、燕で働かないかと誘いを受けますが、拒絶。最終的には処刑され、その死は燕晋両国にて悼まれるほど、更には司馬光さんも突然「こういう孝行息子こそが最高なのだ!」と身を乗り出しています。司馬光さんのコメントは基本的に自身が感極まったとき、と見なすのが良いのでしょう。


 ところで、何やらふんわりと治世がすごかったとばかり書かれ、なかなか具体的な動きのなかった前秦に動きがあります。苻生の弟たちの反乱です。ただ、このタイミングではその前段のみが書かれます。王猛が苻堅に散々「あいつら排除しないと大変なことになりますよ」と言ってきたのですが、苻堅はそれを無視し彼らを厚遇。すると彼らはだんだん奢侈に流れるようになっていました。これに苻堅が激怒、彼らの爵位を降格しました。この措置が、翌年以降の苻氏宗族大反乱祭に繋がっていきます。


 また、これまで全然統治の書かれていなかった拓跋什翼犍の記事がここに来て増えてきました。これまで何をしてきていたかには触れず、やれ部下の失敗を赦しただの、反乱者を赦しただのといった人望的な話ばかりが載ります。そんな拓跋什翼犍も、ここからは劉衛辰のせいで前秦と絡まざるを得なくなっています。


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