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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇三月】三三六年〇六月~三六五年〇七月

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90/126

【30日 363年09月】庚戌土断! しかし帝は

【363年09月】

資治通鑑原文562文字(338/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 3/4-慕容垂-5/3

 3/8-桓温-4/9

 3/15-苻堅-4/22

 3/20-王猛-4/11

 3/26-謝安-4/22

 3/29-謝玄-4/25

・準メインキャスト

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 3/23-姚萇-5/1

 3/24-呂光-5/7


【あらまし】

 晋で土断がなされました。これは言ってみれば「大規模軍役のための軍資集め」にも近いものです。そうした中哀帝が怪しげな薬の飲み過ぎで倒れました。前燕との大決戦が近付く中、晋国内もなかなかに不穏です。



【できごと】


 晋で、改めて土断がなされます。この土断について少し話しておきましょう。晋側の記録しかないから「晋に多くの民が流れ込んでいる」という風に書かれますが、そもそもにして戦乱のうち続いている時代です、各国間で民の流動が激しかったのでしょう。ならば放っておくと戸籍に載らない流入民が増え、そして「戸籍に載っていたはずの民が消える」こともまた多かったのでしょう。これが逃亡か、はたまた土豪に小作人として囲い込まれたかは、時の状況にもよるのでしょうけれど。こうした事態もあり、定期的に戸籍整理を行わないと取れるはずの税が取れなかったりすることになったのだと思われます。ただし、その効力は政府の地方に対する影響力の大きさ次第。のちの劉裕の時代、土断はこのタイミング、つまり桓温の威名が国内に響き渡っていたタイミングのものが最も成果を挙げた、と書かれています。


 対して、この当時の皇帝、哀帝。神仙思想にかぶれ、穀物を断ち、怪しげな薬を服用し始めていました。臣下の諫めがあっても聞きません。結果病に冒され、政務も取れなくなってしまいました。このため褚太后が再び駆り出されています。こうした事態の原因は桓温に抑え込まれての憂悶からの逃避、が一般的なのですが、どちらかと言えば間近にいる摂政宗族に頭を押さえ込まれていた、と考えたほうが正しいような気もします。


 こうした中、前燕との戦いは一進一退。許昌を奪還、しかし再び失陥という、なかなかにしんどい状態が続いています。桓温自身合肥にまで出向くのですが、状況を大きく覆すには至りませんでした。同時期、弟の桓沖が武昌に移鎮します。微妙に状況が王敦や庾氏っぽくなっています。この辺りはそうならざるを得ない、と評価するのが正しいのでしょう。つまり建康から見て長江の上流の守りを固めさせるためにはどうしても西方の軍閥の半独立化がないと上手く回らない、と言うやつです。


 北方では拓跋什翼犍が高車を撃破、苻堅は前涼で実権を握った張天錫の元に使者を送り服属を誓わせています。微妙に代と前秦との間に対立構図が表出してきた感じもありますね。なかなかきな臭くなって参りました。


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