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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇四月】三六五年〇八月~三九四年〇三月

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93/126

【2日 366年07月】慕容恪死す! 三国の行方は

【366年07月】

資治通鑑原文1441文字(275/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 3/4-慕容垂-5/3

 3/8-桓温-4/9

 3/15-苻堅-4/22

 3/20-王猛-4/11

 3/26-謝安-4/22

 3/29-謝玄-4/25

・準メインキャスト

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 3/17-姚萇-5/1

 3/24-呂光-5/7


【あらまし】

 前燕で慕容恪が死亡しました。この非常に大きなニュースはここからの三国情勢に大きな影響を及ぼすこととなるのですが、この年の段階ではまだ予兆程度でしかありませんでした。



【できごと】


 前秦軍、ついに晋を攻撃。王猛・楊安・姚萇、このうち真ん中の人物は仇池王族系の人物であり、やはり名将と讃えられていますので、前秦軍指折りの名将たちによる攻撃でした。この攻撃に対し桓豁が迎撃に出ると、前秦軍は一万世帯あまりの民を略奪したのみで引き上げました。のみ、という規模でもない気はしますが、威力偵察的な感じではあったのでしょう。


 一方このタイミングで前涼が前秦に対して断交を告げています。この頃まだ蜀経由の晋との通交ルートが残っていたのかもしれません。このほかにもいくつもの勢力が前秦に対し叛旗を翻しています。苻幼の反乱が何を意味しているのかを察していたのかもしれません。とは言えこうした各地の反乱はすぐに鎮圧され、また前涼も矛を収めています。決して大きな火となるには至っていません。ええ、このタイミングでは、まだ。


 東晋では司馬昱が丞相・録尚書事となりました。桓温を外向きの最高責任者とするならば、司馬昱が内向きの最高責任者となった形です。また北方方面を守っていた将のひとり、庾希は庾亮の甥でしたが、この頃前燕に押し込まれ続きでいいところ無しでした。さて庾氏と言えば明帝皇后の時代より外戚として連なり、さらに桓温を引き立ててくれた家門でもあります。しかし、桓温がここまで立場を高めると、今度はもはや障害でしかありません。このためここから桓温は庾氏の排除に動き始めます。その手始めが、庾希の敗戦責任による免職措置でした。


 微妙に揺らぐ両国でしたが、この年は前燕の衝撃が最も大きいです。晋をちょくちょく攻撃していたさなか、前燕の大黒柱であった慕容恪が、死亡。慕容恪は死の床にて慕容暐に「慕容垂の将相の才は臣に十倍し、管仲や蕭何に並びます」と言い残しました。言い残したのです、が。


 この事態を受けて苻堅はいまこそ前燕を滅ぼす好機と考え、使者を送るていで国情を探らせました。すると使者は「国情をシリアスに考えているのは皇甫真くらいのもので、あとのものの危機感は薄いです」と報告。これを聞いても、しかし苻堅は「いやそんなうまい話はないだろう」とやや及び腰でした。まぁ確かに、敵国の内情などそう見通せるものでもないのですよね。

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