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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇三月】三三六年〇六月~三六五年〇七月

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87/127

【27日 360年11月】三国混戦! 勃勃パパもアレ

【360年11月】

資治通鑑原文1166文字(300/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 3/4-慕容垂-5/3

 3/8-桓温-4/9

 3/14-王羲之-3/28

 3/15-苻堅-4/22

 3/20-王猛-4/11

 3/25-謝安-4/22

・準メインキャスト

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 3/23-姚萇-5/1

 3/24-呂光-5/7


【あらまし】

 三国がそれぞれ国境地帯でぶつかり合う中、匈奴鉄弗部を率いていた劉衛辰が苻堅を怒らせ逆ギレして代に擦り寄りました。また前涼でも宰相が死亡、不穏な気配を抱えています。こうした中、晋で穆帝が死亡。代わりに哀帝が立ちましたが、引き続き幼帝でした。


【できごと】


 洛陽を奪還した桓温の功は特大。ここで桓温に南郡公、つまり荊州の州治である江陵城周辺の食邑が与えられました。これをもう少しわかりやすく言うと「大都市への封爵は国家元勲レベル、と言うかほぼ皇族級」と言うことです。しかも、よりによってこのタイミングで元服したばかりの穆帝が死亡しました。ここで次なる皇帝に選ばれたのが司馬丕、成帝の嫡子であったが幼かったため康帝に帝位が行ってしまったひとです。しかもその後の帝位がそのままいとこに行ってしまったわけで、タイミングがタイミングなら問題なく帝位を継げていたであろう人物が、二代ぶんの雌伏を経て、ようやく帝位に就きました。哀帝です。諡号で語ると「このあとオチが待っています」になってしまうのがどうしようもないですね。


 東晋は権臣の前に幼帝続きで実に不安定、同じ幼帝でも叔父の手厚いサポートがあった前燕とは大違いです。とはいえその前燕も、慕容暐が自分の即位にケチをつけた賢臣に恨みを抱いていたため強権を発動させて左遷という、なかなか将来が悪い意味で楽しみなふるまいをしています。そして、中央の統制にも課題があるならば、地方はもっとです。洛陽にほど近い野王という城に詰めていた前燕将が晋に寝返ったり、その動静を受けて桓温が許昌一帯を奪回したり。と思えば前燕と接する前秦軍、つまり張平が前燕に寝返った……と見せかけて再び裏切り、前秦に戻ると言い出したため苻堅から「貴様を信じられるわけがないだろう」と殺されたり。なかなか安定には程遠い状態です。このため慕容恪自身が出征、野王を陥落させています。そして慕容恪ですから、その後には野王の民の慰撫に務めました。


 三国、バチバチです。こうした中、西方ではこの当時の匈奴鉄弗部を率いていた劉衛辰が苻堅に奴隷を献上したため怒りを買い、逆ギレして代に服属。前涼でも宰相に任じられていた宋混が死亡するとその副官が宋混の一族を殺し、実権を握りました。この体制を補佐する中には張重華の末の弟、張天錫がいました。そしてこの張天錫、才人でした。才人です、あとはわかりますね?

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