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【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇三月】三三六年〇六月~三六五年〇七月

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83/130

【23日 357年01月】苻堅立つ! 覇道の端緒

【357年01月】

資治通鑑原文2560文字(173/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 3/4-慕容垂-5/3

 3/8-桓温-4/9

 3/14-王羲之-3/28

 3/15-苻堅-4/22

 3/20-王猛-4/11

・準メインキャスト

 2/14-拓跋什翼犍-4/13

 2/28-慕容儁-3/26

 3/17-姚萇-5/1


【あらまし】

 この年、ついに苻堅と王猛が出会い、手を取り合いました。そして苻生を打倒、即位するも、自身の称号を皇帝から天王に格下げします。また前燕が薊から鄴に遷都。いよいよここから本格的に三国争覇の時代が始まります。



【できごと】


 前秦にとっての脅威は何だったでしょうか。誰あろう、姚襄です。姚襄が故郷に戻るということは前秦領内を通過するということ。このとき国内で何が起こるともしれません。そこで苻生は苻堅に姚襄の迎撃を命じました。そしてこれが、苻生にとっての命取りになります。出征先で、出会ってしまったのです――苻堅と、王猛が。


 苻堅の迎撃により、姚襄は戦死します。残された部民を弟の姚萇が取りまとめ、苻堅のもとに投降しました。ここで権翼が苻堅に決起を勧め、さらに後の後涼を建てる呂光の父、呂婆楼が王猛を紹介します。出会った二人はたちまち意気投合し、主従関係を結びます。そして、長安に帰還しました。


 ここから資治通鑑は苻生の奇行凶行をこれでもかと紹介します。魚の夢を見たからといって魚遵という人物を殺したり、それに怯えた側近の牛夷が外鎮となりたいと願い出れば「そなたは忠臣、手放すはずがあろうか」と答えて追い詰めて自殺させたり、などです。ただこのあたりについては、敢えて言ってしまいましょう。苻堅による潤色も多い、とみなすしかありません。全部が全部、とは言いませんけれど。なにせ苻堅による苻生討伐は絶対的に正しいものでなければならないからです。ともあれこうして苻生は討ち取られ、苻堅が即位しました。なお苻堅の潤色を疑う理由としてもうひとつ、この決起に協力した苻堅の庶兄、苻法が苻堅の母によって毒殺された、というものがあります。非常にきな臭いですし、実際にのちの苻堅にとっての禍根ともなっています。こうした部分に後ろ暗さを感じていたのか、苻堅は皇帝から天王に自身の位を下げました。さらに并州を統治していた張平が離反、独立します。苻堅、なかなかに前途多難です。


 前燕では慕容儁が息子の慕容暐を太子として立て、鄴に遷都します。完全に中原で鹿を逐う気満々です。なお慕容恪が降伏を受け入れた段龕でしたが、慕容儁のもとに連行されると殺され、更にその配下ら3000名が穴埋めとされています。


 この年はあまりに前秦が激動すぎて前燕も影が薄いですし、東晋も穆帝元服と幾分の人事が載る程度。こうしたタイミングで桓温や司馬昱がどのように動いていたかは気になるところです。


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