【22日 501年05月】蕭衍即位! 梁始まる
【501年05月】
資治通鑑原文11128文字(7/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
8/3-蕭衍-10/14
・準メインキャスト
8/18-元恪-9/5
【あらまし】
北魏では宣武帝と宗族の関係が険悪になり始めたと書かれます。南斉では蕭衍が郢州、江州、そして建康を陥落させ、東昏侯を打倒。南斉宗室を殺害しつつ蕭宝寅を取り逃がしつつ、和帝より帝位を承け、梁を立ち上げます。
【できごと】
孝文帝の時代、あまり書くとごちゃごちゃになると思ったので避けていたのですが、孝文帝の弟たちは大活躍でした。素晴らしいことです。ただ問題があります。宣武帝から見て、この出来物の叔父たちはどう映るでしょうか。宣武帝だけではありません、晴れて馮氏に続く貴顕の外戚となった高氏からすれば、という話にもなります。というわけでこの頃から宣武帝と皇族らの懸隔が目立ち始めました。さらに、これによって南斉内乱に介入もできなかったと書かれており、かなり司馬光さんの宣武帝評価は辛めです。
さて、翻って南斉です。ここで江陵の蕭衍サイドでは北魏からの支援を受けるべきだ、と言う提案も上がっていますが、蕭衍は却下しています。そして自軍のみを率いて郢州、いわば荊州から建康に向かうにあたってのふたつの関門のうちひとつめを攻撃。二百日もの攻防の末陥落させました。これは言ってみれば蕭衍側が、必ずしも確かな大義を背負っていたと認識されていたわけではなかったと伺われます。対する建康では東昏侯の無道放埒が描かれています。引き続きこのふるまいの真偽については留保をしておき、内部統制がまるでとれていなかったことのみを拾っておくべきなのでしょう。
こうした東西のバランスから、蕭衍軍を阻む関門のふたつめ、江州は蕭衍軍に投降。きっちり兵站線も確保した上で蕭衍軍は建康に乗り込み、東昏侯軍を打ち破り、建康城を包囲します。ことここに至っては、もはや趨勢も決定的。建康城内からは蕭衍に内通するものもあらわれ、ついには彼らの手引にて城内に蕭衍軍が突入。東昏侯も臣下に殺害されます。蕭衍は略奪の禁止を徹底させた上で東昏侯の近親らを処刑、東昏侯が発したとされる過剰な処罰、労役を取り消させ、滞っていた訴訟ごとを進め、かつこの戦いにて死亡した者達を敵味方かかわらずに弔わせました。こうして南斉の秩序は一気に回復した「そうです」。なるほどー!
さて、無事蕭衍は南斉を「再興しました」。しかしながら、ここまでの状況を現出させられて、誰が南斉帝を見るでしょうか。蕭衍は江陵から和帝を招いたのですが、その合間に南斉皇族を殺しています。ただここで蕭宝寅を北魏に逃がしてしまいました。ともあれ建康に到着した和帝は蕭衍に禅譲。ここに南斉が滅び、梁が蕭衍、あらため武帝のもとで立ち上がるのです。




