【20日 499年06月】東昏暴政? ほんまかいな
【499年06月】
資治通鑑原文7841文字(19/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
8/3-蕭衍-10/14
・準メインキャスト
8/18-元恪-9/5
【あらまし】
東昏侯政権は「東昏侯があまりにも暴虐であった」ために宗族反乱が多発した、そうです。そのカギカッコ内ほんとに信じていいやつ? 一方の北魏も外戚から皇后からがとてつもなくきな臭く、動乱の気配、ノンストップ加速中です。
【できごと】
さて東昏侯政権です。どう評価しましょうか。「南斉の統治能力が底をついていた」としか言いようがない気がします。もう、目の前には南朝最大の名君兼昏君、こと蕭衍の治世が迫っています。これまでの資治通鑑、というよりも史書記述のロジックを踏まえれば、いくら東昏侯をクソと書かれてみたところで「ほうほう、つまりそれだけクソでないといけなかったわけだよね?」というメタな視点が情報受け入れを妨げてきます。
いやほんと、東昏侯政権下では多くの宗族反乱が起こっているのですが、それって「うまく宗族を担いで皇帝に押し上げられれば俺たちでも南朝を支配できる」みたいに色気を出した奴らの暴走なんじゃないの? と思わずにおれません。そうすると東昏侯による誅殺の数々も「それしか執行できる権限がなかった」みたいになってくるんですよね。明帝陛下は、見事に皇帝の値段を暴落あそばさったものです。一応このあたりについては、明帝が東昏侯に対して遺したとされる「臣下の後手に回ってはならぬ」という遺詔を東昏侯が「殺される前に殺せ」と誤認したがために暴走した、とされていますが、さすがに宋の後廃帝とやっていることがコンパチ過ぎて、「なるほどぉー!」以外に言えることがありません。
ここで蕭衍が「この政権はもはや終わりだな」と狂乱からやや距離を置いたふうのコメントを残し、また西方に出て軍備を整え始めた、と先見の明をアピールされますが、同じようなことしてた人他にもいたでしょ絶対、とツッコまずにおれません。
一方で、この「次の皇帝を担いで南朝に覇を唱えるのは俺だ」レースの中で名乗りを上げた、このひとについてもきっちり拾っておくべきでしょう。東昏侯の弟のひとり、蕭宝寅。この後の南北の戦いをめちゃくちゃに引っ掻き回す人物です。
この年は南斉があまりにもメチャクチャであったため、北魏で新たに立った宣武帝の扱いはかなり軽めです。とはいえ、その内情を見るとこちらもなかなかにヤバい。「過去に突然亡くなった」宣武帝の母が属した高氏がここで外戚として権勢を振るいます。代わって馮氏が没落します。どう考えても馮太后が敷いたレールの行き着いた結果です。それと、資治通鑑はこの段階ではまだ名を挙げませんが、これも紹介しておいたほうがいいでしょう。宣武帝の妃のひとりにこの人がいました。胡氏。そう、彼女こそが北魏末期をズタボロとする、霊太后なのです。




