【15日 494年09月】蕭鸞簒奪! 鍾離は守るも
【494年09月】
資治通鑑原文11294文字(6/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
7/17-拓跋宏-8/19
8/3-蕭衍-10/14
・準メインキャスト
7/30-蕭鸞-8/19
【あらまし】
漢文化大好き孝文帝、鍾離に攻め寄せるも失敗して、その戦略的失敗を諸将になすりつけました。南斉では海陵王がさっそく廃され、蕭鸞が帝位に立ちます。さらに蕭鸞は多くの皇族も殺し尽くしています。これ高帝が見たらブチ切れすぎて却って爆笑しそうですね。
【できごと】
孝文帝の漢化政策が、なんと言うんでしょう。猖獗を極め始めています。漢化はまぁいいんですが、漢語を用いないと罷免・降格であるとか、胡服、つまり鮮卑たち伝統の服装を禁止するであるとか、ここまでくるとやっていることはもはや漢文化への思慕などでは収まらず、むしろ鮮卑アレルギーとでも呼びうるのではないか、と思えてなりません。実際のところ道武帝から孝文帝までで漢人系の母親が四人おり、更にその実質的な養母が馮太后ですから、そういった可能性も、ネタレベルでは言ってしまえそうです。
さて、そんな孝文帝ですから、当然南も取りに来ます。臣下らよりの猛反対を押し切っての、献文帝時代以来、二度目の本格的な鍾離への攻撃です。しかし、この攻撃も失敗。撤退戦においてもまた甚大な損害を出します。これってどう考えても孝文帝の戦略ミスだと思うんですが、しかし孝文帝はここで怯懦を見せたり敗北した将らを厳しく罰しました。これは諸将らにしてもなかなかにやっていられない結末です。
さて、対する南斉はどうだったでしょうか。そもそもにして北魏南征の理由が鬱林王弑殺による政情不安を狙う、でしたから、この時点の南斉がガタガタであったのは間違いがありません。このタイミングで蕭子良も死亡、ストッパーを失った蕭鸞の動きの先に簒奪があるのは宗族たちにとっての共通見解であったようで、蕭鸞制圧の動きがほうぼうで立ち上がりますが散発的ですし、及び腰です。このため蕭鸞はこうした諸勢力を軽々と捻り潰しました。更には蕭衍や、その兄である蕭懿らの活躍もあり、攻め寄せてきた北魏を撃退。こうした功績を背景とし、ついには海陵王を廃位、自身が帝位につきました。明帝です。
ここで念の為に補足しておくと、明帝とは諡号、つまり死後の評価を示す号ですから「蕭鸞」の意思とは関係がありません。つまり宋の明帝である劉彧に、あまりにもそっくりな治世であった、と言う評価であるわけです。海陵王といい、諡号には南朝の存在が結構大きな役割を果たしていそうですね。しかし明帝、間違いなく有能ですね。その有能を宗族殺しに全ツッパとか、ほんとどうなのよそれ、って感じですけど。




