表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【夕刊シチ】デイリー両晋南北朝  作者: ヘツポツ斎
【〇八月】四八一年〇六月~五一〇年一二月

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR
226/239

【13日 492年10月】北魏遷都! 武帝は崩御

【492年10月】

資治通鑑原文5856文字(45/365位)


【登場人物】

・メインキャスト

 7/17-拓跋宏-8/19

 8/3-蕭衍-10/14


・準メインキャスト

 7/16-蕭賾▲

 7/30-蕭鸞-8/15


【あらまし】

 孝文帝、中華趣味を追い求めすぎたため、ついには洛陽への遷都を強行してしまいます。しかもほぼ独断です。とんでもねえ。また南斉では引き続き武帝の統治力の微妙さが語られたあと、大いに禍根を残した上で崩御します。た、楽しくなってきやがった……。



【できごと】


 ここまでの北魏、いえ孝文帝を見れば、いわゆる伝統的中華観こそを奉じているのがあまりにも明らかです。というわけで、ついにこれを実施します。洛陽遷都。その始まりは、あらためて大々的に南斉を討伐する、という宣言でした。群臣の反対に対し、孝文帝は怒りさえ示して強行。しかしながら、その大軍が動き始めたところで、初めて「実は遷都を考えている」と明かすのです。確かに平城は、中華を制圧しようと言うにはあまりにも北に外れすぎています。その意味で「南方併呑を志す」、さらに言えば、「孝文帝が奉じる文化圏を手中に収める」ためには、極めて合理的な判断と言えるでしょう。ただし、他ならない側近の李沖が「陛下のなさりようについて我ら誰ひとりとしてそのご意向を理解できておりません」。つまり衆議も経ない、独断での遷都であった、とのことです。これはあまりにも危うすぎる評価である、と言えるでしょう。


 南斉では宋の歴史を編纂するにあたり袁粲の伝をどのように書くか、について激論が交わされています。孝武帝や明帝のひどいところを書くのはどうだろうということで多くの記事が削除された、とされますが、「いやまあ普通に考えて高帝のやべーところ削っただけだろ」と思わずにおれません。既に書いた通り袁粲の記事は一巻占有のくせに短いのですが、そこにはこうした背景があったようです。


 またこの年、武帝にとっては最悪の事態が生じます。皇太子である蕭長懋の夭折です。これがよほど答えたのか、武帝もまた病に伏せりました。ここで問題になるのは後継者です。蕭長懋にはすでに嫡子である蕭昭業がいたため、通常であれば蕭昭業が後継者です。しかしながら、蕭長懋の弟である蕭子良もまた聡明です。そこで蕭子良を後継に据えようとする勢力も現れました。こうした事態を受け、ここまでいったん名前こそ挙げたもののほぼ存在感のなかった蕭衍が「幼主の補佐をするのと宗族に媚び諂うのとで、どちらが真に国を憂うことになるのであろうか」と語っています。そして武帝が崩御、蕭昭業が立ちました。廃帝鬱林王と呼ばれます。名前だけでネタバレがひどい。ちなみに武帝の遺詔には最悪なものがありました。「蕭鸞に輔政をさせよ」です。なお蕭子良を擁立しようと目論んだ勢力は誅されました。これはもう、見えてきてしまいましたね……何かが!


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ