【12日 491年11月】土から水! 北魏の命数
【491年11月】
資治通鑑原文3146文字(145/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
7/17-拓跋宏-8/19
8/3-蕭衍-10/14
・準メインキャスト
7/16-蕭賾-8/14
7/30-蕭鸞-8/15
【あらまし】
南斉が法制を切り替えながらもその遂行能力に疑問符をつけられ、翻って北魏ではこれまで国の命数が土徳であったところを水徳に切り替えるというウルトラCを決めます。引き続き南北指導力の対比があざやかです。
【できごと】
南斉ではこの辺りで法制改訂に臨みます。西晋はじめころに制定された法律をこの時期まで運用していたためいろいろ実態に合わなくなり、抜け道が多くなっていた、とのことです。いやむしろよくこのタイミングまで使ってたなそれ? この改訂法は施行されましたが「きっちり運用できているかを監視できる役職がないと機能しませんよ」とツッコミを受け、そして残念ながらこの監視役は設けられなかったそうです。またこの年武興、つまり旧仇池のうち北の方の王の楊集始が漢中に攻撃を仕掛けてきたので撃退、楊集始が北魏に帰服した、と載ります。この辺も武興と陰平をちゃんと切り分けておかないと混乱しそうですね。あとこの頃南斉にやって来ている北魏よりの使者は李彪だった、とのことで、孝文帝としてもかなりこの南北関係当面の維持を重視していたのであろうことがうかがわれます。
そんな北魏では、ようやく孝文帝が本格的に馮太后の喪から脱し始めました。ここで南朝の品官制に即した品官制を北魏にも取り入れています。また太武帝が統万城より持ち込んだという楽制がこの当時既に廃れかけていたということで改めて制定し直しています。更には馮太后に寵愛されていた宦官とその一族が権勢を振るっていたのですが、宦官の母方の叔母だけはこうした世の春を危ぶんでいました。やがて宦官が失脚し、そのまま死亡するとその叔母だけは特赦されています。
そして孝文帝は、中華古来の王たちを改めて祭祀し、ここで改めて北魏の命数が何に相当するか、についての議論をさせています。これはいわゆる五行相生の思想に基づくものであり、木火土金水の流れを、各「正統」王朝が引き継いでいる、と言うものです。そしてもともとの解釈では土徳の曹魏→金徳の晋→水徳の前趙→木徳の前燕→火徳の前秦を受け、北魏を土徳に位置づけていました。しかしここで「神元帝たる拓跋力微様は晋と通好し、以降代々の代王たちの志は晋を輔けることにあった。ゆえに北魏は晋を継承すべきである。過去にも戦国秦が周を滅ぼして天下の主と名乗ったが、その後の漢が徳行を継承したのは秦ではなく、周であった」と言う主張が上がり、北魏の命数が土徳から水徳に切り替わります。これは言い換えれば五胡諸国家からの継承は継承にあらず、と宣言したに等しいわけです。
なおこの年、柔然の郁久閭豆崙が叔父の郁久閭那蓋に殺されました。柔然も大変そうです。




