【9日 489年01月】孝文光輝! 南斉グズグズ
【489年01月】
資治通鑑原文1118文字(304/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
7/5-馮太后-8/10
7/17-拓跋宏-8/19
8/3-蕭衍-10/14
・準メインキャスト
7/16-蕭賾-8/14
7/30-蕭鸞-8/15
【あらまし】
北魏孝文帝がこの年も輝かしき名君ぶりを示し、大して南斉の人事はこの年もドロドロであったそうです。な、なるほどぉー!
【できごと】
ここ最近の資治通鑑はかなり露骨です。つまり北魏孝文を上げ、南斉武帝を下げる、です。もちろん本当に北がすごくて南がヤバかったのかもしれません。わかりません。とはいえこれまで散々に自身のストーリーのためなら史書記述歪曲も辞さずにあった司馬光さんの振る舞いを見ていると、この辺りのブックも果たしてまともに信じてええもんかいな、と思わずにおれません。まぁそう思うなら魏書と南斉書に当たりましょう、と言う話ですね。将来当たってみたいと思います。
というわけで南斉は今日もグズグズ、と書かれます。このタイミングで登場したのは王晏。琅邪王氏ですが、主流からはやや外れます。宋将時代の武帝に媚びへつらいで取り入り、武帝即位後には好き放題に権勢を振るった、と書かれます。人物の好みで宰相クラスの人事にまで口出しをしたともありますし、かの王倹もまた王晏に対しては遠慮気味であった、とされます。そんな王倹が、この年に死亡。結局の所職務まわりで王晏と折り合いが悪くなっていたそうで、武帝が王倹に「文献」、東晋建国の大元勲たる、かの王導と同じ諡号を贈ろうとした、つまりそれほどまでに王倹の功績を讃えようとしたところ、王晏が反対。結果「文憲」に格下げとなりました。王晏は帰宅後この成果を知人に活き活きと語ったそうですから、なかなかによろしい性格です。一方、王倹はここで自身の後釜として徐孝嗣を推挙しています。この人は宋文帝とともに殺された徐湛之の孫で、つまり宋武帝の玄孫です。こうした血統も、おそらくは推挙の理由なのでしょう。
こうして諸々微妙と南斉が書かれる傍ら、北魏では罪を犯した皇族をどのように扱うべきかを臣下と議論して、普通なら死刑相当だが馮太后が親族を哀れんだからと禁錮に減刑されたと書かれたり、孝文帝が「宮中づとめには清廉さが求められる、自らの欲を御しきれる自信のないものは宮中を辞することを許す」と宣言したところ、実際に辞職を願い出たものが讃えられ、むしろ「己の悪の心を自覚できたものは尊い」と昇進させられたりなど、事績紹介のニュアンスが引き続き気になる内容が載ります。また南斉との断交が解かれた、とも書かれます。……いつ断交したの?




