【6日 486年03月】高允死亡! 斉では范雲が
【486年03月】
資治通鑑原文1116文字(306/365位)
【登場人物】
・メインキャスト
7/5-馮太后-8/10
7/17-拓跋宏-8/19
8/3-蕭衍-10/14
・準メインキャスト
7/16-蕭賾-8/14
7/30-蕭鸞-8/15
【あらまし】
北魏で高允の死が大きく取り沙汰されると、それに対をなすかのように南斉に出てきた文学の巨塔、范雲が大きく扱われます。それにつけても早世した南斉武帝の子たち、蕭長懋蕭子良兄弟の人物ぶりはただごとではありません。なんでこの出来物兄弟がいてこのあとあんなことになるんでしょうか。
【できごと】
この年は柔然討伐が却下されたり、孝文帝による諸礼制の整備などが進みますが、それ以上に大きく取り扱われる事項があります。高允の死亡です。享年98、魑魅魍魎の跋扈する北魏宮廷にあっての埒外の大往生と言うべきでしょう。明元の時代に士官して以来、太武、文成、献文、孝文の四帝に仕え、およそ半世紀にわたり、しかしまともに譴責を受けることも無し。ずっと高位にあっても決して驕ることなく、常に温和な態度を貫いた、とのこと。また北魏が青州を獲得したさいには家財を傾けて地元の親族らを救済した、という話も載ります。その頑健ぶりは、死亡数日前まで普段どおりに過ごし、いきなりころっと死亡したそうです。その諡は、文。最高レベルの諡号で、まさしくである、と言えるでしょう。
南斉では竟陵八友の一人、范雲についての人となりが特に紹介を受けています。武帝のもとにに伝わっていた范雲の振る舞いはお調子者であったとのことで、そうした軽薄な振る舞いを武帝はやや懐疑していました。しかしながら、と蕭子良が反論しています。范雲は常に蕭子良を思い、切に諫言をしてくれている、と。そしてどのような諫言があったかを武帝に提示し、そこで改めて武帝は范雲のことを見直しています。また范雲は蕭子良の兄、すなわち皇太子である蕭長懋が賓客らとともに農務を見学していた際、「なんとも見事なものだな!」と賓客に話しかけ、皆がそこに同調する中、ぴしゃりと「農務の労苦についても重にお考えください」と釘を刺しています。しかし蕭長懋といい蕭子良といい、武帝って実は子にかなり恵まれていたんですね。この後の展開を思えばかなりヤバかったのではないかと勝手に思っていたのですが、むしろ後継者に恵まれておりながらあの展開になっているのは、世の皮肉、と言うかままならなさの半端なさにあ然とせずにおれません。
またこの年には、蛮で新たな人物が登場します。桓天生。自称桓玄の子孫、その二です。そしてやはり北魏軍をレンタルのうえ南斉を襲撃。南斉もこの迎撃に出ざるを得ないのでした。それにしても、こうした辺りには当地の桓氏への支持と「アンチ南朝」としての象徴性、どちらが強く出ているのかは気になるところです。




